皆さんは日本刀や甲冑を実際に観たことがありますか?写真や映像では観たことがあるという方も少なくないでしょう。しかし、日本刀や甲冑には写真や映像では伝わりづらい、素晴らしい魅力が秘められています。
名古屋市中区丸の内の「東建コーポレーション本社丸の内ビル1階」にある「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」には、日本刀をはじめ、甲冑、槍、薙刀、火縄銃といった美術的に価値の高い様々な美術品のコレクションを展示。「刀剣ワールド」で紹介している刀剣や甲冑などを、実際に観ることのできる貴重な施設です。
こちらからは、展示している刀剣情報、アクセスや施設の営業時間といった刀剣コレクション情報がご確認頂けます。
普段の生活ではなかなか観ることができない美術品のコレクションを無料でご覧頂ける「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」。ご来館をお待ちしております。

刀剣とは

日本刀が好きな皆さんにとって、刀剣とは、麗しい美術品に違いありません。しかし、一般の人にとって刀剣は、切れ味が鋭く、危険な刃物というイメージが強いようです。刀剣を所持するのは犯罪ではないの?刀剣を持ち運ぶことは法律違反?刀剣が好きならば、そんな疑問を投げかけてくる友人や知人に対して、適切に対応したいもの。日本の法律と刀剣、刀剣の価値、「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」に展示されている刀剣について詳しくご紹介します。

刀剣の種類

直刀

直刀とは

直刀」とは、平安時代中期に出現した反りのついた湾刀より以前に作刀されていた、日本刀の原型と言われる反りがない刀剣のことを指します。湾刀とは違い、直刀は斬ることよりも殴打や刺突が主な攻撃方法。

刃長が60㎝以上のものは「大刀」(たち)、大刀よりも短いものは「横刀」(たち)と表記され、主に古墳時代後期から平安時代中期頃まで作刀されていました。なお、日本で鉄製の刀剣が作刀されるようになったのは古墳時代前期頃と言われますが、この頃は片刃の刀剣よりも両刃の刀剣が主流です。

直刀

直刀

飛鳥時代になると、直刀は「平造り」(ひらづくり)や「切刃造り」(きりはづくり)と呼ばれる造込みがされるようになりました。湾刀は主に「鎬造り」(しのぎづくり)と呼ばれる方法で造込みがされているため、直刀は湾刀に比べて作刀がしやすく、費用も安価。

また、すでに古墳時代後期には刀剣の重要な作刀工程である「折り返し鍛錬」(鉄を熱して打ち延ばし、折り返して2枚に重ね、さらに打ち延ばす作業を何度も繰り返すこと)という、日本独自の鍛錬法がすでに導入されていました。なお、古墳時代末期から奈良時代にかけて作刀された直刀の原材料は、主に岩鉄で、なかには銅も多く含まれていたと言います。

直刀は主に古墳からの出土品が多く、権力者や貴族の埋葬品として柄頭や拵に華美な装飾が施されたものが主流でした。

実戦用の武具として用いられることもありましたが、当時の刀剣は儀式などに用いられる「儀仗」(ぎじょう)や、権力者の地位を表す装飾品としての意味合いが強く、献上品や贈答品としても扱われていたのです。

有名な直刀

現存する有名な直刀は、「聖徳太子」の佩刀と伝わる、「四天王寺」(大阪府大阪市)所蔵の「七星剣」や「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)、「土佐二宮小村神社」(高知県高岡郡)が所蔵する「金銅荘環頭大刀拵・大刀身」(こんどうそうかんとうたちこしらえ・だいとうしん)などが存在。

いずれも日本で作刀されたものではなく、中国からの伝来品だとされていますが、初代征夷大将軍「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)の佩刀として知られる、「鞍馬寺」(京都府京都市)所蔵の「黒漆剣」(こくしつけん/くろうるしのつるぎ)や、「清水寺」(兵庫県加東市)所蔵の「騒速」(そはや)などは日本で作刀された直刀と伝わります。

七星剣

七星剣

また、名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」-メーハクでも古墳時代に作刀された直刀を所蔵。「上古刀 無銘(平造り)」は平造りの直刀で、身幅が広いのが特徴です。101cmもの長さがある本刀剣は、作刀工程でも重要な「焼き入れ」の技術が発達した時期に作刀されたと考えられ、腐食により見えにくくなっているものの、刃文を確認することができます。

上古刀 無銘(平造り)
上古刀 無銘(平造り)
無銘
時代
古墳時代
鑑定区分
未鑑定
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
寄託

太刀

太刀とは
太刀

太刀

太刀とは、一般的に刃長が約80cm前後の刀剣のことを言い、反りが強く長大なものが多いのが特徴です。60cm以下のものは、太刀と同様の形状をしていても脇差に分類されます。

博物館などでは刃が下に向くように展示されるのが一般的で、太刀を身に付けるときも、刃を下に向けて体の左側に装着。太刀を身に付けることを「佩く」(はく)と言い、体の外側になる面を「佩表」(はきおもて)、裏側になる面を「佩裏」(はきうら)と言います。

通常、太刀の刀工のは佩表に刻まれており、「打刀」とは反対であることから、刀剣分類の基準にもされているのです。しかし、銘が切られていない場合や、磨上げにより銘が消失、または打刀に変化したことから、必ずしも銘の位置で分類されるわけではありません。

腰反りが強く長大なものが多い太刀は平安時代中期に登場した刀剣の形です。平安時代以降武士が台頭し、戦乱が増えていったことから刀剣の形状が直刀から扱いやすいものに変化。近くに深い反りが付けられたことで、当時の戦闘が主に騎馬戦であったことから、馬上で片手でも抜刀しやすくなり、「断ち切る」ことが可能となったのです。

このため、「太刀」の語源は「断ち」であるとする説が存在。鎌倉時代までは弓を多く使う騎射戦が主流であったことから、太刀は馬から下りたときや喧嘩などに扱われる日常の武器、または矢がなくなったときに用いられる補助武器としての認識が強かったと考えられています。

太刀は直刀よりも相手を斬るのに向いていたため、騎馬による戦いが主流だった南北朝時代まで使用されていました。騎馬戦で用いる刀剣は、刀身が長いほうが有利であるため、馬上戦を想定して発展した太刀は、打刀に比べて長大な刀身をしています。そのため、打刀が武士の刀剣として主流になってからは、太刀は上級武士の権威の象徴としての役割を強めていったのです。

なお、「陣太刀」(じんだち)と呼ばれる太刀は、武士が公式の場で佩用するものとして、実戦用よりも儀礼用として作刀された太刀のこと。に豪華絢爛な装飾を施し、格式の高さと権力を象徴するようになりました。

太刀拵

太刀は、一般的に「太刀拵」に収められるため、収められている拵を観ることで、太刀なのか打刀なのかを見分けることができるのです。太刀を佩用する際は、刀剣が馬のお尻に当たらないように刃を下に向け、腰帯から吊るします。

太刀拵には長い歴史があり、現存する太刀拵は儀仗用に作られているものがほとんど。太刀拵は実用重視の「打刀拵」とは違い、身分標識の道具として特化していったのです。

太刀拵特有の部位として、太刀を腰に佩く際に、腰に巻き付けてを固定するための組紐や革紐である「太刀緒」(たちお)や、太刀緒を通し、絡めて固定するための「帯執」(おびとり)などがあります。

太刀拵の部位

太刀拵の部位

大太刀とは

大太刀とは太刀を長大化させたもので、特に規定はないものの刃長が3尺(90.9cm)以上のものを指します。実戦用に扱われるものは「野太刀」(のだち)と言われることもあり、厚くがっしりした造りが特徴です。

大太刀は南北朝時代頃に多く作刀されるようになった刀剣で、太刀のように腰に差すには長く重すぎることから、担いで携行していたとされています。

とにかく長大であることから、振り回しやすくするため次第にが長くなり、刀身の根本に革紐などを巻き付けた「中巻野太刀」や「長巻」へと発展していきました。

薙刀など、木の柄の武器は大太刀より折れやすかったため、南北朝時代に最も有効な白兵戦武器は大太刀であったとする説もあります。

打刀

打刀とは
打刀

打刀

「打刀」とは、およそ60cm以上の刃長で刀身の反りが太刀よりも浅いのが特徴の刀剣です。反りの中心が手元により近いところにある太刀と違い、反りの中心が刀身の先の方にある「先反り」が強く付くことも特徴のひとつ。

室町時代以降に登場した打刀は、騎馬戦から徒歩戦に戦闘が変化したことから、太刀に代わって戦闘に用いる刀剣として一般化しました。打刀の原型は、鎌倉時代、上位の騎馬武者に付き従う下位の歩兵が薙刀と共に装備する短刀である「刺刀」(さすが)が、南北朝時代に入って長大化し、室町時代には打刀になったと言われています。

鎌倉時代末期以降は集団での接近戦が主流となったため、敵対する相手よりも1秒でも早く刀を鞘から抜くことが重要視されようになりました。そのため刀身を短くし、反りを浅くすることで扱いやすくし、刀剣を腰帯に直接差し込んで固定することで刀身を鞘から抜きやすくしたのです。

また、太刀とは逆に、打刀は刃を上向きにして安置されていることがほとんど。携行する際も同様に刃を上向きにし、腰帯に直接差し込むのです。このため、打刀を携行することを「差す」と言います。

また、打刀を差したときに体の外側になる面が「差表」(さしおもて)と呼ばれ、多くの打刀はこの差表側の茎に作者の銘が入れられていました。

ただし、室町時代以降打刀が流行したことにより、それ以前に作刀された太刀の茎を切り詰め、打刀に磨上げをしたものも多いことから、磨上げられた打刀に太刀銘が切られているものも存在。磨上げによって銘が消失した場合は、姿地鉄、刃文などの特徴から作刀年代や作者を割り出すことができます。

打刀拵

打刀拵」はその名の通り打刀を収めるための拵のこと。実戦用に作刀されたことから、華美な太刀拵よりも質素で簡略的な見た目が特徴です。下緒を通すための穴である「栗形」(くりがた)や、素早く抜刀する際に鞘や刀身そのものの落下を防ぐ役割を持つ「返角」(かえりつの)などが打刀拵の特徴的な部位。

江戸時代には打刀と脇差を揃いで持つ「大小2本差」が武士の証として定着しました。そのため、打刀拵は武士の正装として、「三所物」(みところもの)などの装飾が制作されるようになり、脇差の拵と揃いで制作されることになったのです。

打刀拵の部位

打刀拵の部位

脇差

脇差とは
大小二本差

大小二本差

「脇差」とは刀身の短い打刀や太刀の総称で、刃長が1尺(約30㎝)以上2尺(約60㎝)未満の刀剣のこと。本差である太刀や打刀が破損などにより使えない際に使用される予備の武器で、大小拵えの小のことを指します。

名称の由来については諸説ありますが、「腰の脇に差したから」というのが定説。打刀と同様に、刺刀から発展したものとされ、古くは太刀の差し添えとして使われていました。打刀と同様に刃を上にして帯に差し、博物館などでも刃を上に向けて展示されます。

脇差が登場するのは室町時代頃からだとされ、江戸時代に入り、「大小二本差」が武士の正装として見なされるようになると、拵の素材や色を打刀と統一したものが使用されるようになりました。

脇差の種類

脇差は長さによって「大脇差」、「中脇差」、「小脇差」の3つに分類されます。

①大脇差

大脇差とは、1尺8寸(約54.5㎝)から2尺(約60.6㎝)未満の脇差のこと。大脇差は、「斬り捨て御免」と言われる、町民や農民から無礼な態度を取られた武士が合法的に相手を斬る、無礼討ちによく使われました。武士は丸腰の相手に戦いを挑んではいけなかったことから、大小のある武士が刀剣を持たない町民や農民相手に脇差を貸与し、斬り捨て御免を行ったのです。

また、大脇差は新選組の局長「近藤勇」や、二刀流の剣豪「宮本武蔵」など、著名な武士の間でも流行したと言われています。新選組の副長「土方歳三」は、「堀川国広」という安土桃山時代に作刀された大脇差を所有していました。

その他、京極家伝来の「にっかり青江」や、薙刀直しで豊臣家ゆかりの「骨喰藤四郎」などが著名な大脇差として知られています。

②中脇差

中脇差とは、1尺3寸(約40cm)から1尺8寸(約54.5㎝)未満の脇差のこと。著名な中脇差に、「石田三成」が所持していた「石田貞宗」という、相模国の刀工「貞宗」の手により南北朝時代に作刀されたものがあります。

③小脇差

小脇差とは、1尺3寸(約40cm)未満の脇差のことです。短刀に近い大きさをしているため同一視される場合もありますが、脇差は拵にを付けるのに対して、短刀は鍔を付けない「合口拵」(あいくちごしらえ)が一般的。著名な小脇差には、薙刀直しの「鯰尾藤四郎」があります。

鯰尾藤四郎
鯰尾藤四郎
銘/吉光
時代
鎌倉時代
鑑定区分
未鑑定
所蔵・伝来
織田信雄 → 豊臣秀吉 → 豊臣秀頼 → 尾張徳川家

短刀

短刀とは
短刀

短刀

短刀とは刃長が1尺(30センチ)に満たない刀剣で、反りがほとんど見られないのが特徴です。古くは、刃を上向きにして腰に差していたことから「腰刀」(こしがたな)、または刃長が長い太刀などに対して、短刀は単に「かたな」と呼ばれていました。

刀身は、(しのぎ)がない「平造り」と呼ばれる造込みがほとんど。通常、短刀は鍔が付けられない「合口拵え」に収められており、刃長の似通った脇差と区別する際には、拵に鍔が付いていれば脇差、合口拵であれば短刀だとされます。

短刀は鎌倉時代初期頃から見られるようになり、鎌倉時代から室町時代にかけて、敵と組み合って争う「組み打ち」の際や、倒した敵の首を取るときに使用されました。安土桃山時代には戦闘においてほとんど使用されなくなりましたが、短刀は女性や子どもでも扱えるため、主に護身用の武器となったのです。

江戸時代以降には短刀の作刀が減少しましたが、現在でも皇室の儀式中に「賜剣の儀」(しけんのぎ)という、天皇家及び宮家で子が生まれた際に守り刀を天皇から贈る儀式が残されています。

短刀の種類

短刀は長さや用途に応じて、数種類に分けられます。ここでは、「懐刀」(ふところがたな)、「鎧通し」(よろいどおし)、「寸延短刀」(すんのびたんとう)の3種類を見ていきましょう。

①懐刀
懐刀

懐刀

懐刀とは、「隠剣」、「懐剣」とも呼ばれ、脇差を佩用できないときに懐に隠し持つ短刀のことです。刀剣鑑定や刀剣研磨を生業とする「本阿弥家」(ほんあみけ)では、4寸(約12cm)から5寸(約15cm)までの長さの短刀を懐剣として折紙に記載していました。

魔を退けるお守りとしての意味を持ち、武家の娘が護身用に所持。現在でもその名残として、和装の結婚式では花嫁が帯に懐刀を差し、花嫁衣裳の必需品となっています。

②鎧通し
鎧通し

鎧通し

「鎧通し」は「馬手差し」(めてざし)とも呼ばれる、甲冑(鎧兜)を着用した相手と対峙する際に用いられた短刀です。逆手に持って使用するため、刃長は9寸5分(約28.8㎝)以下、つまり肘までの長さになるのが一般的。

相手と組合った際、甲冑(鎧兜)の隙間から相手を刺す目的で用いられました。なお、鎧通しは相手と組み合ったときに、刀身が自然に抜け落ちてしまったり、相手に奪われたりする恐れがあったため、腰に差す際は太刀とは違い、柄を後ろに、(こじり:鞘の先端部)を前に来るように身に着けたと言われています。

③寸延短刀
寸延短刀

寸延短刀

寸延短刀とは、刀身の長さが1尺(約30.3cm)を超える大振りな短刀のこと。南北朝時代に登場し、室町時代末期から江戸時代初期にかけて盛んに作られました。現在寸延短刀は脇差に分類されます。

薙刀

薙刀とは
薙刀

薙刀

薙刀とは平安時代に登場した柄(え)が長く、相手を「薙ぎ斬る」ことを目的にした武器のこと。当初は「長刀」(ながなた)と表記されていましたが、打刀が誕生すると、打刀と短刀を区別するために「長刀」(ちょうとう)という言葉が生まれ、「薙刀」と表記されるようになったのです。なお、例外もありますが、薙刀に「号」を付ける場合は女性の名を付けるのが通例とされています。

鎌倉時代末期以降、戦闘方法が馬上戦から徒歩戦に変化していったことにより、薙刀は武士から足軽まで広く用いられるようになりました。

薙刀は刀の柄をただ長くしただけではなく、太刀や打刀などと比べると刃の先が大きく反っているのが特徴。斬撃以外にも刺突や打撃を広範囲に与えられることから、南北朝時代には主要な武器となっていきました。

また、南北朝時代には長大な刀剣が流行したため、太刀と同様に薙刀も巨大化。しかし、室町時代に入り、1対1の戦闘から集団戦闘が主流になると、味方を薙刀で傷付けてしまう事故が頻発したため、大きく振り回す薙刀ではなく、振り下ろし、刺突する槍へと長柄武器が変化していきました。

室町時代以降薙刀が戦場で扱われることはほとんどなくなりましたが、江戸時代になると「薙刀術」が確立。全国各地の藩で様々な流派が誕生しました。薙刀術は武家の娘が身に着ける教養のひとつに数えられていたことから、婦人の護身術としても浸透していったのです。

戦法の変化によって戦場で使われることのなくなった薙刀は、太刀と同様に磨上げられ、「薙刀直し」として打刀や脇差に作り替えられることになりました。

薙刀の形状

薙刀は太刀や打刀とは違い、「帽子」(鋒/切先の刃文)や「横手」(よこて:鋒/切先と平地の境界線)のない、「菖蒲造り」(しょうぶづくり)、もしくは「冠落造り」(かんむりおとしつくり)と呼ばれる造込みが行われた刀身の形状をしています。

ほとんどが先反りで、刀身の中ほどまである「薙刀樋」(なぎなたひ)と呼ばれる(ひ)が掻かれ、茎(なかご)は長く、刀身と同程度の長さがあることが通常です。

しかし、槍のように茎が刃の何倍もの長さを持つことはほとんどありません。薙刀が作刀されはじめた当初は刀身が軽く威力に欠けたため、鎌倉時代頃からは刀身の身幅を広げ、反りを強くした形状に変化していきました。

薙刀の種類
①巴形薙刀

巴形薙刀」(ともえがたなぎなた)は、「女薙刀」とも呼ばれ、形状や長さに明確な規定はありません。通常、鋒/切先の方が強く反った先反りで、身幅が広がっているのが特徴。

巴形薙刀は江戸時代に作刀された婦人用薙刀の形状で、この名称も江戸時代になってから付けられました。

諸説ありますが「木曽義仲」(きそのよしなか)の愛妾「巴御前」(ともえごぜん)にちなんで命名されたと言われています。

②静形薙刀

静形薙刀」(しずかがたなぎなた)は別名「男薙刀」とも呼ばれ、巴形薙刀と同様に、形状や長さに明確な規定がない薙刀です。

一般的には、巴形薙刀に比べて反りが浅く、身幅の先が狭い、菖蒲造りの刀剣に似ているのが特徴です。

「静流」(しずかりゅう)と呼ばれる静形薙刀術は、鬼から剣術を習った「源義経」が、その剣術を薙刀術に応用し、「静御前」にのみ教えたことがはじまりとされ、静形薙刀の名称の由来となりました。

③筑紫薙刀

筑紫薙刀」(つくしなぎなた)は、室町時代に九州地方の大名「大友家」を中心に、筑紫地方で盛んに使用された薙刀です。最大の特徴は、柄に収める茎(なかご)がないこと。茎に相当する刀身の側に「櫃」(ひつ)という輪状の金具を付け、そこに柄を通すことで刀身を固定し、使用されました。

その他、鍔の代わりに鍵(鉤)の付いた形状の「鍵付薙刀」(かぎつきなぎなた)や、刀身の棟にある櫃に柄を差し込む形状の「袋薙刀」(ふくろなぎなた)などの種類が存在しています。

長巻

長巻とは
長巻

長巻

「長巻」(ながまき)とは刀身とほぼ同じ長さの柄を持つ大太刀を指し、全長がおよそ180~210cmにまで及ぶ長大な刀剣です。長巻は刀剣分類上の区別が明確にされておらず、薙刀と同一視されることもありますが、薙刀とは違い、長巻は太刀と同じような刀身の形状をしています。

薙刀は長い柄を持ち、斬ることに特化した長柄武器ですが、長巻は大太刀の柄を延ばし、振るいやすくした「中巻」から発展しました。無銘のものが多いものの、初期のものは太刀銘、後期のものは打刀銘が切られています。

南北朝時代に長大な刀剣が流行するようになると、実戦向きの大太刀の柄は次第に長くなり、より振り回しやすいように、刀身の鍔元から中程の部分に、太糸や革紐を巻くようになりました。

これを「中巻」と呼び、重くて振りにくかった大太刀が小柄な人や非力な人でも用いることができるようになったのです。中巻は通常の刀剣よりも威力が大きく、振る、薙ぐ、突くと幅広く使えるため、広く用いられるようになりました。

室町時代には長大な刀身に刀身と同様の長さ以上の柄を付けたものが作刀されるようになり、長い柄に柄巻を施したことから「長巻」と呼ばれるようになったのです。

戦国時代と安土桃山時代に流行した長巻は槍と並び、戦場で重視される武器となりました。武士の振るう武器が槍に移ると高い威力を持つ武器として、徒歩兵にも騎馬武者にも用いられるようになったのです。

泰平の世となった江戸時代には、個人で3尺以上の刀剣類を所有することができなくなったことから長巻は衰退。当時のまま現存しているものもありますが、多くは太刀や薙刀と同様に多くは茎を短く詰めて磨上げられ、「長巻直し」と呼ばれる刀剣になりました。

長巻の拵

長巻の拵は太刀拵から発展したもので、刀身には鎺(はばき)と切羽(せっぱ)、鍔が附属します。長巻の名称の由来通り、柄は鍔元から柄頭まで糸や革で巻き締められているのが特徴。

木の柄に金属を巻き付けた「蛭巻」(ひるまき)と呼ばれる意匠の拵や、単純に木の柄に黒漆を塗っただけのものも存在するなど、様々な種類が制作されました。

槍とは
槍

「槍」とは、長い柄の先に「穂」(ほ)と呼ばれる刀剣を付けた武器のことで、日本のみならず世界中で使用されていた武器です。突き刺して使用する長柄武器で、槍の名称は「突きやる」という言葉に由来します。

室町時代に入ってから近接戦闘の主力武器として最も活躍しました。槍の先端部に付ける刀身部分である穂は、「長柄槍」(ながえやり:柄の長い槍)では約20cm前後、「大身槍」(おおみやり:穂が長い槍)では約60cm前後と、槍の種類によって大きさは様々。柄の長さは、長柄槍では約4~6m前後、大身槍では4m以上あるとされています。

槍兵

槍兵

槍は弥生時代に登場した「矛」が原型となった武器と言われ、薙刀よりも集団戦向きであることから、戦国時代になってから戦場の主武器となりました。槍は間合いが広いことが特徴ですが、薙刀のように攻撃が周囲の味方に及ぶことはありません。

しかし、少し離れた場所から刀剣や盾を持った相手へ攻撃したり、馬の足を薙ぎ払ったりすることで威力を発揮。また、刀剣では硬い甲冑(鎧兜)を貫くことが非常に困難でしたが、槍で突かれると貫通する場合もある武器です。

江戸時代になると、槍は大名の格式を表す道具として見なされるようになり、武術のひとつ「槍術」(そうじゅつ)として各地で様々な流派が誕生しました。

槍の種類

槍は、穂や柄の形によって、素槍(すやり)、管槍(くだやり)、片鎌槍(かまやり)、十文字槍(じゅうもんじやり)、鉤槍(かぎやり)など、様々な種類に分類することができます。

①大身槍

「大身槍」とは、穂が長い槍のこと。柄の形状は、扱いやすいように穂よりも短く、太くなるのが特徴です。穂の長さが長大になるほど重量が増し、扱いにくくなるため、大身槍を扱うことができたのは筋力と腕力が優れた槍の使い手だけだったとされています。

②菊池槍

「菊池槍」(きくちやり)とは、短刀に長い柄を付けた槍のことで、刀身に短刀を使用していることから、片刃となっているのが特徴です。

南北朝時代の豪族「菊池武重」(きくちたけしげ)が考案したとされており、刃長は18cm前後のものと、30cm前後のものの2種類が存在。30cm前後の菊池槍は「数取り」(かずとり)と呼ばれ、戦国時代には部隊長が所持したとされています。

③鎌槍

鎌槍」(かまやり)は、穂の側面に「鎌」と呼ばれる枝刃が付いた槍のこと。相手の足を斬る目的で付けられたとされる一方、深く貫きすぎて体から抜けなくなることを防ぐ役割もありました。

片方だけに鎌が付いた槍を「片鎌槍」(かたかまやり)、十字に鎌が付いた槍を「十文字槍」(じゅうもんじやり)や「両鎌槍」(りょうかまやり)、「十字槍」(じゅうじやり)と呼びます。

十文字槍は枝刃の長さや形状により様々な種類があり、特に作刀費用も掛かったため、主に大将が使用していました。十文字槍の名士として、「真田幸村」(真田信繁)が知られています。

④管槍
管槍

管槍

「管槍」(くだやり)とは、柄の上方に真鍮製の管を嵌めた槍のこと。

管を嵌めることで摩擦が軽減され、素早く刺突ができるようになるため、「早槍」とも呼ばれます。全国で広く用いられましたが、特に尾張藩で発達を遂げました。

⑤袋槍

「袋槍」(ふくろやり)とは、穂の茎が筒状になった槍のことで、「かぶせ槍」とも呼ばれます。穂の着脱が容易であることから、近くの竹などの棒を切り出して先端に差し込むことで、急造の槍を作ることができました。

矛とは
矛

「矛」(ほこ)とは、長い柄の先に両刃を取り付けた武器で、槍や薙刀の前身となった長柄武器のこと。古くは「記紀神話」(ききしんわ:古事記と日本書紀の総称)にもその名が見られるほど歴史の長い武器です。

やや幅広で両刃の剣状の穂先を持ち、槍などとは違い斬ることを目的としていることから、鋒/切先は丸みを帯びています。刀身がソケット状となっており、そこに柄を差し込み、鋲(びょう)などで柄と刀身を固定して使用されました。

矛は金属器と共に中国から伝来し、鍛造技術が未熟だった時代において、頑丈な構造をしていた矛は戦場で広く用いられていました。もとは青銅器のひとつでしたが、製鉄技術が向上すると、鉄製に変化。次第に大型化して、祭器として用いられるようになりました。現在でも祭器として有名な矛が、京都で行われている「祇園祭」の「山鉾」(やまぼこ)です。

祇園祭の山鉾

祇園祭の山鉾

祇園祭とは、平安時代の京都で発生した災害や疫病を、「牛頭天王」(ごずてんのう:平安京の祇園社[現在の八坂神社]の祭神)による怒りと信じ、牛頭天王の怒りを静めるために行った祭祀のこと。

国と同じ数の66口の矛を立てて神輿を「神泉苑」へ送り、祇園祭の起源となりました。その後、矛は車や飾りを付けた「山鉾」(祭礼の際に引かれる山車の一種)に姿を変えて、現在でも京の夏を彩る風物詩として親しまれています。

戦場においては、作刀コストが高いことから、薙刀や槍などの長柄武器に取って代わられ、作刀されなくなり、衰退していきました。

矛の種類

矛には、鉄製のものだけでなく、原始的な矛である「木矛」、棒の先に石を縛り付けて耐久性を増した「石矛」の他、銅製の「銅矛」などがあります。

銅矛は古墳時代、銅剣が使用されるようになった時期に作刀された矛で、木矛や石矛と異なり、柄の先端に覆いかぶせるような形で穂を装着し、鉄製の矛の原型となりました。

剣とは
剣

」(けん)はつるぎとも読み、刀身の両側に刃が付けられた両刃の直刀である武具のこと。一般的に、剣身が60cm以上のものを言い、短いものは短剣と呼ばれ区別されます。

平安時代中期以降主流となった片刃の湾刀とは違い、斬ることよりも刺したり殴打したりすることに特化した武器で、日本だけでなく世界中で広く用いられました。

西洋で作られた剣は主に、溶かした鉄を鋳型(いがた)に流し込んで形を整える「鋳造」(ちゅうぞう)や、熱した鋼を叩いて伸ばしたりする方法である「鍛造」(たんぞう)などの方法で作刀されるのが一般的。

日本においては、日本刀と同じように「折り返し鍛錬」や「焼き入れ」などの技術を使って作刀されました。

剣の発祥は古代に遡り、金属が自由に加工できるようになると、鋭い両刃を持った剣が登場。日本には中国・朝鮮から銅剣や鉄剣が伝来し、製鉄技術や加工技術が日本において確立されると、日本でも作刀されるようになりました。古墳時代前期ごろから見られ、古墳の埋葬品として多くの剣が出土しています。

片刃の湾刀が刀剣の主流となってからも、剣は祭器として作刀・使用されていました。なお、南北朝時代以前に作刀された剣は、どの地域で作刀されたにもかかわらず大和風の出来となるため、「大和古剣」と呼ばれ、室町時代以降に作刀されたものは単に「古剣」と表されます。

著名な剣

最も有名な剣のひとつに、「三種の神器」のひとつである「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ/「草薙剣」[くさなぎのつるぎ]とも)があります。天叢雲剣は、「須佐之男命」(すさのおのみこと)が「八岐大蛇」(やまたのおろち)を退治した際に、蛇の尾のなかから発見したとされる、日本神話に登場する剣です。

日本武尊」(やまとたけるのみこと)が敵の放った野火から逃れるために、草を薙ぎ払ったことから「草薙剣」と呼ばれるようになり、現在は「熱田神宮」(愛知県名古屋市)にご神体として祀られています。

天叢雲剣

天叢雲剣

刀剣の部位

上身・茎・区

刀剣の刀身は「」(まち)を境に、上身(かみ)と茎の2つの部位に分けられます。

上身

上身とは、茎を含まない、区から鋒/切先までの部分のこと。鋒/切先、物打ち、刃、鎬筋(しのぎすじ)、鎬地(しのぎじ)、平地(ひらじ)などの部位が存在。刀剣の長さは、上身と茎を合わせた「全長」と、上身だけの刃長で表され、刀剣の長さが「○尺○寸」や「○cm」と書かれている場合、通常は刃長のことを指します。

上身の部位

上身の部位

茎とは、刀剣の柄に収まる、銘や目釘穴がある部位のこと。

様々な種類があり、形状によって刀剣が作られた時代や流派、刀匠の個性や違いが最もよく現れる部位です。

銘とは、日本刀を作った刀工が、茎に入れた名前や製造年月日などのことを指し、一般的に、太刀は佩表、打刀は差表に入れられます。

目釘穴とは、柄と刀身を固定するための部品「目釘」を差し入れるための穴のこと。柄を制作する際は、茎が短すぎると破損する可能性が高くなってしまうため、柄は茎の長さに合わせて作られます。

刀剣を持つときに直接触ることが許された部位で、「なかご」という名称は、柄の「中に込める」という意味が由来です。

茎の部位

茎の部位

茎は「心鉄」(しんがね)と呼ばれるやわらかい鉄でできており、手で触れることが多い部位であるため、錆を生じます。手入れが行き届いた日本刀の茎は、長い年月をかけ深みのある黒い錆に覆われるのです。

また、鉄の表面に形成される酸化膜(さんかまく)である黒錆が付くと、鉄を腐食させる赤錆が発生しにくくなります。

茎の刃側の先端を「茎先」(なかごさき)、刀身の先端を「茎尻」(なかごじり)と呼び、茎尻は「磨上げ」が行われる際に削られる部分でもあります。茎を切り詰めるのは、鋒/切先を削ってしまうと「帽子」がなくなり、刀剣が脆く折れやすくなってしまうため。また、刀工が作ったままの姿の茎を「生ぶ茎」(うぶなかご)、一方磨上げられた刀剣の茎は「磨上げ茎」と言います。

区

「区」とは上身と茎の境にある、鉤形(かぎがた)になっている部分のことです。

鎺を装着する部位でもあり、棟側にある「棟区」と刃側にある「刃区」の2つの区が存在。刃区が深いということは研磨などによる摩耗がなく、作刀時の姿を残している証拠だとされています。

作刀時、一般的には刃区と棟区は一直線上に作刀されるため、刀剣を観た際に、刃区と棟区の位置がずれている場合、どちらかの区が損傷したか、区送り(まちおくり:区の位置を鋒/切先方向にずらす作業)が行われた可能性が高いと考えられます。

鋒/切先

鋒/切先とは
鋒/切先の部位

鋒/切先の部位

鋒/切先とは刀剣のいちばん先端にあたる部位で、横手と鎬筋が交わる「三つ頭」より先の部位のこと。鎬筋とは刃と棟/峰(むね)の間を縦に走る、一段高くなった箇所で、横手は鎬筋から垂直に刃先に向かって延びている線を指します。

鋒/切先は敵を直接斬ったり刺したりする、敵とぶつかる可能性が高い部位であるため、損傷しないように強固にする工夫が常になされてきた箇所。また、姿を形作るすべての線と面は、下から上に向かって伸び、鋒/切先の1点へと集まっていくことから、鋒/切先は刀剣の優美さが集約される部位でもあります。

鋒/切先の形状や帽子は、時代によって異なる戦闘様式や流行によって変化する、機能的な部位。戦闘の際に敵を「突く」ことに多用される大切な部分であることから、武器としての戦闘力を高めるために、甲冑(鎧兜)の形状によっても変化してきました。

古代の刀剣は短く詰まった直線的な鋒/切先でしたが、馬上での戦闘や、1対1の戦闘から集団戦への変化などの理由により、鋒/切先に丸みが付き、大きく伸びたものも作刀されるようになったのです。

一方で鋒/切先は、重ねが薄く、焼き入れが難しいことから、均一に焼き入れをするのに高い技術が必要とされます。未熟な鍛錬を行うと、作刀の途中で破損しかねないことから、見事に仕上がった鋒/切先は刀工の高い技術力を示すのです。鋒/切先の形の巧拙は、日本刀の品位を表すとも言われ、刀工の技量や個性が最も表現されています。

鋒/切先にある部位
①ふくら
ふくら

ふくら

ふくらとは、横手から鋒/切先の先端にかけてある曲線状の刃先部分のこと。丸みを帯びたものを「ふくら付く」、直線的なものを「ふくら枯れる」と言います。

②帽子
帽子

帽子

帽子は「鋩子」(ぼうし)とも書かれる、鋒/切先の刃文のことで、鋒/切先全体のことを指す場合もあります。

刀工や作刀年代により様々な模様がある、美しいものですが、鋒/切先を補強する要素として重要な役割を持っていました。

鋒/切先は斬る・刺すなどの攻撃を直接仕掛ける部位。帽子の「返り」が鋒/切先を補強する役割を持つことから、帽子の焼きを利用して強度を上げようとしたのです。返りとは、鋒/切先を打ち出して作るときにできる部分で、焼刃が鋒/切先の頂点から折り返して焼き込まれることで現れる部位のことを指します。

物打ち

「物打ち」とは、鋒/切先より下、6~9cmから12~15cmくらいの間の部位のこと。明確に記されているわけではありませんが、鋒/切先から鎺元へ向かって、刀身が広がり始める辺りのところを指します。この部位で物を切るため、「物切所」や「物打ち所」、「打ち所」とも言われ、物打ちの刃部分だけに限定して、物打ちと呼ぶ場合も存在。

物打ちは鋒/切先と同様に直接斬る物に触れる部分で、最も切れ味のいい部位であることから、剣士は刀剣で物を斬る際は、基本的に物打ちで対象物を斬り付けます。そのため、物打ちは刀身のなかでも特に強靭であることが求められ、刃文は焼幅が高くなる場合がほとんど。

物打ちの場所は正確には定まっていませんが、実験により、物打ちの位置は刀剣の長さにより変化するというデータも存在しています。

刃とは

刃は、研ぎの入った刃(は)の部分のこと。対象を切断する機能の付いた面で、刀剣にとって肝心要の部分でもあります。物を切断できるように薄く硬い鋼となった部位で、地鉄(じがね)部分と比較すると明るく見えます。

語源は、「焼き刃」のイ音便形で、本来は焼き入れをした刀剣の刃や、焼き入れによって生じた刃文のことを指すものでした。のちに刀剣類の刃の総称となり、その他にも鋭い物や威力のある物の形容としても使われるようになったのです。

刃の切れ味
造込み

造込み

日本の刀剣の刃は、世界的にも切れ味が良いことで知られています。この切れ味は、日本独自の刀剣の製法である折り返し鍛錬と造込み、焼き入れによって作られているのです。刃は薄く繊細な部位であることから、硬すぎると刃が欠けやすくなってしまいます。

「折れず、曲がらず、よく切れる」刀剣を作るためには、硬い鋼とやわらかい鋼を合わせて作刀することが必要。このように2種類の鋼を合わせることを「造込み」と言い、刃は造込みの特長が最もよく現れている部位なのです。

焼入れ

焼入れ

また、まっすぐ切り付けることではなく刃を滑らせながら切り付けることで、より切れ味の鋭さに結び付きます。こうした働きを「斜面の原理」と言い、この原理には刀身の「反り」が必要。

反りがあることによって切り付けたときの衝撃を緩和させ、自然と「引き切り」の動作が行われるようになったのです。なお、刀身に反りを付けるには、「焼き入れ」という工程が行われます。

刃文

刃文とは
刃文

刃文

「刃文」とは、「焼き刃」に現れる模様のことで、焼き刃とは、焼き入れを行うことによって、より硬くなった部分のこと。

刀身に見られる白い波のような模様を言い、刀剣を光線にかざすことによって鑑賞することができます。日本の刀剣最大の特徴でもある刃文は華やかで、刀身自体に芸術性を持たせている部位です。

刃文は反りと同様に焼き入れを施す際に現れます。焼き入れとは、刃の部分のみを硬く焼き、その他の部分は刃に比してやわらかく粘りのある状態に保つための作業で、切れ味にも影響を与える工程です。

皆焼

皆焼

棟焼

棟焼

焼刃土と呼ばれる土を、硬くしたい刃側は薄く、それ以外は厚く刀身に置き、その際に刀工が意図した文様になるよう塗っていくことで刃文は現れます。

しかし、刀工の手元では美しい刃文を視認することはできず、研師の下で行われる「化粧研ぎ」によって刃文部分が乱反射し、私達が鑑賞する刃文の美しさが顕現されるのです。

刃文は日本の刀剣ならではの特色で、芸術性を高めると同時に、優れた武器の特色でもあります。

刃文には様々な種類があり、大別すると直刃乱刃の2つの種類が存在。乱れ刃はさらに細かく分類できます。

なかでも、通常刃に現れる模様である刃文が、焼き入れの仕方により刃だけでなく、平地や鎬地、棟などの部位にまで現れるものもあるのです。刀身全体に焼きを施したものを「皆焼」(ひたつら)、刃文が鋒/切先を介して棟まで及んでいるものは「棟焼」と言います。

刃文の構成要素と部位

焼き刃の形状である刃文は、見え方が異なる「沸」(にえ)と「匂」(におい)と呼ばれる粒子から成ります。沸や匂の無数の粒子は、光を当てることで乱反射を起こすため、刀剣の表面に沸と匂の粒子の突起が高く均一に付着していると、反射が一定方向になり、光が集まりやすくなることで、明るく光って見える部位です。

①沸

沸とは焼き入れにより、刃境や刃中に生じた刃文の構成要素のこと。「マルテンサイト」という鋼の組織が、白い砂粒のように粒子が粗く見える部位です。

②匂

匂とは、「マルテンサイト」と言う鋼の硬い組織の部分が、霞のように粒子が細かく見える部位のこと。沸とは冶金(やきん)学上、同じ性質の組織で生成され、刃文と地の境目付近に現れます。

沸と匂

沸と匂

刃文の部位

刃文には、「焼きの頭」(やきのかしら)、「焼きの谷」(やきのたに)、「腰」(こし)などの部位が出現。焼の頭は棟寄りに山高くなった刃文の頂点を指し、焼の谷は刃文の底点である刃寄りの部分を、腰とは頭から谷への傾斜のことを言います。

また、日本の刀剣の焼刃は刃区の下から始まりますが、この刃区の下から1~2寸ほどの部分が「焼き出し」(やきだし)と呼ばれ、時代や一派の特徴が表れている部位です。

刃文の部位

刃文の部位

平地

平地とは
平地

平地

鎬造りにおいては鎬地ではない、鎬筋を境に刃先側の部分を指し、平造りなどの鎬筋がない造込みにおいては、刃や棟以外の刀身を指します。

刀剣鑑賞の見所となる、地鉄(じがね:刀身の鍛錬によって生じた肌模様)や刃文、映りなどが現れる部位です。

地鉄
地鉄

地鉄

地鉄とは「鍛肌」(きたえはだ)の模様を指し、別名「地肌」(じはだ)とも呼ばれます。地鉄の模様は、刀剣の原材料である「玉鋼」(たまはがね)を折り返し鍛錬することによって生まれるため、平地に地鉄が現れるのは日本の刀剣ならではの特徴。

地鉄の模様や地鉄の色は決して均質になることがなく、折り返し鍛錬の回数や玉鋼の産地などによって顕著に違いが生じます。したがって、地鉄は刀剣が作られた地域や流派、刀工の個性を楽しむことができる部位なのです。

よく鍛えてある、密度が高い物を良い地鉄と表しますが、他にも荒い粗雑な地鉄や、やわらかい地鉄、強い地鉄などがあります。

地鉄の模様は、木材の板のような模様である「板目肌」(いためはだ)、木を縦に切ったような、真っ直ぐな模様である「柾目肌」(まさめはだ)、樹木の年輪のような模様である「杢目肌」(もくめはだ)などがあり、木目に例えられます。これらの地鉄は複合で現れる場合がほとんどです。

地中

地鉄には、鍛え肌とはまた違う刃文のような各種の働き(地肌や刃中に動きや変化のあること)が存在し、これを「地中」(じちゅう)と言います。「地景」(ちけい)や「地沸」(じにえ)、「映り」(うつり)などの種類があり、深みのある美しさを演出している部位です。

刀身に「焼入れ」を行う際に、焼刃土を盛る量や厚さ、素材にひそむ微妙な組成の偏りによって、地中が現れると考えられます。

鎬筋

鎬筋と鎬地

鎬筋と鎬地

「鎬筋」とは、鎬造りという造込みにのみ見られる部位で、横手(横手筋)から茎の最下部まで刃と棟の中間を走る、山高い稜線のこと。鎬筋は刀身のなかで最も厚みがある部位で、単に「鎬」と言われる場合もあります。

刀身の表裏に鎬が通っている刀剣が鎬造りと言われ、鎬造りは、刀身の形状を指す造込みの一種。平安時代以降に作刀された一般的な日本の刀剣の形状であるため、本造り(ほんづくり)とも呼ばれます。

頑丈さと鋭さを両立させるために考案され、刃の部分は薄くし、かつ戦闘時に衝撃を緩和するために鎬が生まれました。断面の中央部分が膨らんだ長菱形に近い形状とすることで、強度を保つことができたのです。

なお、鎬筋は刀剣同士で戦闘した際に、相手の刀剣を受け止める部位でもあります。実際の戦で刀剣を使用する際、もし相手が振り下ろした刀剣を刃先で受けてしまうと、刃が欠けるなどしてしまうため、相手の刃を受けるときには手首を90度曲げ、鎬の部分で相手の刀を受け止めたのです。

こうして鎬部分に大きく傷が入る状況を、「鎬を削る」と言い、転じて激しく争うことを意味する慣用句になりました。

横手から鋒/切先に向かって伸びる鎬筋のことは、小鎬筋(こしのぎすじ)と呼ばれます。小鎬筋は、大鋒/大切先の場合は長くなり、逆に小鋒/小切先の場合は短くなるのが特徴。また、鎬筋の高さにより、刀工や流派を特定することができます。

その他、鎬筋に関連する部位に、「小鎬先」(こしのぎさき:小鎬筋が棟角と接する点)や、「三つ頭」(みつがしら:刀剣の鎬筋、小鎬筋、横手筋の3つが重なる点)などがあります。

また、鋒/切先の境界となる横手は、その有無や位置によってどのような分類の鎬造りかが分かる部位です。

横手のない鎬造りに、「菖蒲造り」や「かんむり落とし造り」などが存在。横手がかなり下方にあり、刀身の中心くらいにあるものを「おそらく造り」と言います。

鎬地

鎬地とは鎬筋と同様に、鎬造りという造込みにのみ見られ、平造りなどの鎬筋がない刀剣の場合は単に「地」(じ)と呼ばれる部位です。

鎬地は、鎬筋を挟んで平地とは反対側の部位に位置し、刀の側面を構成する棟と鎬の間にあたる部分。ここに樋や刀身彫刻が施されることが多く、一般的に、研師によって鏡面のように、艶やかに仕上げられています。

平地に現れる地鉄と同様に、鎬地に現れる肌目も流派や時代を推測する手がかりのひとつです。大きく分類すると、「古刀期」には板目肌のようになっている傾向があり、「新刀期」以降には、柾目肌になっている形状のものが多い傾向にあります。

棟とは
棟

「棟」(むね)は、刃と反対側の、刀身の背にあたる、刃が付いてない側のこと。「峰」(みね)とも呼ばれ、刃が付いてない方で斬らずに打撃を与えることを「棟打ち」、もしくは「峰打ち」と言います。

しかし、この技はフィクションのもので、通常戦闘に用いられることはありませんでした。戦闘時には、斬り込む際に、棟に手を添えて体重をかけるなどの使い方がされており、また、鍔迫り合いとなった際に、片刃であることから自分に刃が向かないため、傷を負う危険性を減らすことができるなどのメリットがあったのです。

棟は断面の形状から4種類に大別され、それぞれ形状によって庵棟、三つ棟、角棟、丸棟などに分類されています。刀剣類鑑賞時に観られる部位でもあり、棟の種類から刀剣が作られた時代などを読み取ることもできるのです。

棟の種類
①三つ棟(みつむね)

別名「真の棟」とも言われ、棟が台形になっており、三面あることが名称の由来。平安時代以降、庵棟と共に主流となり、古刀期、新刀期を通じて作られました。山城伝相州伝の刀剣または短刀に多く見られます。

②丸棟(まるむね)

別名は「草(そう)の棟」と言われる、断面が半円の形状をした棟で、九州や北陸の刀剣によく見られる形状です。

③角棟(かくむね)

「平棟」(ひらむね)とも呼ばれる角棟は、棟先の筋がなく平らに仕立てられている形状。最も古い形式の棟で、上古刀に多い造りです。刀剣に反りが付いてからは、ほとんど見られなくなりました。

④庵棟(いおりむね)

別名で「行(ぎょう)の棟」とも呼ばれ、頂点が鋭角になるようにした形状の棟で、大太刀に多く見られます。棟の高さのことを庵と言い、山高いものを「庵高い」(いおりたかい)低いものを「庵低い」(いおりひくい)と表現されます。

棟の種類

棟の種類

重ねとは
重ね

重ね

「重ね」とは、刀剣を縦に並べた状態にして、棟のほうから見た厚み、つまり刀剣の厚さのこと。その厚さを棟で測った場合は「棟重ね」と呼び、「鎬」(しのぎ)で測った場合を「鎬重ね」と呼びます。

柄の重ねのことを「元重ね」(もとかさね)、先端部分の重ねを「先重ね」(さきかさね)と言い、重ねは元がおよそ7mm、先がおよそ5mmの厚さが一般的です。

刀身彫刻

刀身彫刻とは
刀身彫刻

刀身彫刻

刀身彫刻とは、「刀身彫」(とうしんぼり)とも呼ばれる、鎬地に施される彫刻のことを言います。彫られた図像は、動物や植物をはじめに、和歌や漢詩などを題材とした文字の他、神仏の姿や仏具など、一般に「縁起が良い」と言われる主題が多く、所有者や制作者の好みに合わせて、多種多様なものが存在。

刀身彫刻は所有者の身を守るためや、戦勝を祈願するため、長寿や繁栄を願うためなど、「お守り」としての役割を果たしていました。

刀身彫刻が誕生したのは飛鳥時代にまで遡ります。最初期の彫刻は、刀身に溝を掘って金銀などで作った意匠をはめ込む「象嵌」(ぞうがん)でしたが、平安時代になる頃には、刀身に立体的な意匠を彫り込む技法が確立。

湾刀期に入った平安時代中期には、刀身の表面に立体的な意匠を彫り入れるようになりました。本来刀身彫刻は装飾的な美しさだけではなく、刀身の軽量化などの実用性をかねたものでしたが、密教が流行するようになると、次第に制作者や所有者の宗教観を表すものに変化。

はじめは梵字・素剣などのシンプルな図像が主流でしたが、鎌倉時代末期から南北朝時代以降は写実的な意匠の彫物が増え、桃山時代に入ると、刀身彫刻は一層華やかに入れられるようになり、装飾性が強まって、刀剣の美術的価値を高める要素のひとつとなっていったのです。

また、彫刻の図柄、彫り方などに刀工の個性が表れることから、流派や刀工を特定することも可能。刀身彫刻は、古くは刀工が自ら刀身彫刻を施していましたが、江戸時代頃には分業されるようになりました。

刀身彫刻の主題
松喰鶴

松喰鶴

最初期の刀身彫刻のひとつとして、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて豊後国(現在の大分県)で活躍した刀工「行平」の刀剣が挙げられます。

行平が彫ったのは、「松喰鶴」(まつくいづる)と呼ばれる意匠で、これは、漆や焼き物で吉祥の文様として、藤原氏の時代に大流行した意匠です。その後、彫刻の主題には、平安時代に密教が流行したことからその影響が色濃く表れ、「梵字」(ぼんじ)や「倶利伽羅」(くりから)、密教の仏具である「蓮華」(れんげ)、「金剛杵」(こんごうしょ)など、密教的な意匠が多く制作されるようになりました。

密教の図像が彫刻された著名な刀剣に、徳川四天王のひとりに数えられる武将「本多忠勝」が愛用した槍「蜻蛉切」が挙げられます。本多忠勝は蜻蛉切を携え、数多くの戦場で武勇を発揮しましたが、その蜻蛉切には美術的とも言える彫刻が彫られているのです。

穂の中央を走る太い樋のなかには「三鈷剣」(さんこけん:三鈷杵[さんこしょ]の形に象った柄を付けた剣)と梵字が彫られており、この梵字は、地蔵菩薩や阿弥陀如来、聖観音菩薩、不動明王をそれぞれ表しています。

樋とは
樋

「樋」とは刀身彫刻の一種で、鎬地に入れられた溝のような部位。

一般的に「彫る」ではなく「掻く」(かく)、または「突く」と表現され、日本刀の強度を保ったまま軽量化するために施したのがはじまりと言われています。

樋があることにより、刃筋方向に加わる力が吸収されて曲がりにくくなるだけでなく、重量の軽減と強度の増加を両立させる効果があるとされるのです。現存している刀剣のなかでは、平安時代中期の刀工「古伯耆安綱」が最古であると言われています。

最も古い形式は「掻通し/掻流し」(かきとおし/かきながし)と言われる、溝を茎まで流したごくシンプルなものでしたが、刀剣に装飾性が求められるようになると、単純ななかにも工夫を凝らした、様々な意匠が出現するようになりました。

鎬地全体に樋が掻いてある「棒樋」(ぼうひ)や、棒樋に添ってもう1本細い樋が施された「添樋」(そえび)、茎寄りに短く掻かれた「腰樋」(こしび)など、形状や長さによって様々な種類が存在します。

樋は途中で刀身彫刻へと分岐し、華やかな刀身彫刻が発展していきますが、樋も同様に刀身を美しく魅せるためのものとして発展していったのです。

樋内彫 脇差 銘 家助(長船)

樋内彫 脇差 銘 家助(長船)

また、樋と刀身彫刻が合わさったものとして、刀身の表面に掻かれた樋の中に、肉彫や浮彫の表現を用いて図柄を表す「樋内彫」と呼ばれる技法なども生まれました。

なお、手入れをしやすくするため樋内に漆が塗られている刀剣も存在。刀剣は使用後に手入れをしなければ容易に錆びてしまうと言われていますが、樋はその構造上、手入れが難しい部位です。

しかし、一般的に、樋は軽量化のために掻かれていると言われますが、樋は別名「血流し」とも呼ばれており、刺したり斬ったりした際に、樋を伝って血を流すために掻かれたという説もあります。

そのため、刀身の他の部位よりも錆が付きやすいとされることから、防虫や防腐の効果があると言われる漆を施すことで、錆の発生を防いだのです。なお、特に実戦用の刀剣に樋が掻かれている場合は、朱漆などが塗られていることがあります。

樋は、硬い刀身に沿って真っ直ぐ掻かなければいけないことから、未熟な職人が掻くと手入れの際に溝を拭ったときに突っかかりを覚えると言われ、真っ直ぐに樋を掻くには高い技術力が必要。シンプルながらも刀剣の実用性と装飾性を持たせる樋は、奥深い刀剣の魅力を引き出す部位でもあるのです。

茎尻

茎尻とは

茎尻(なかごじり)とは、茎の最下端部のことを指します。剣先のように尖った「剣形」(けんぎょう)や、栗の尻のように丸みを帯びた「栗尻」(くりじり)など、様々な形状があり、時代や刀匠によって異なる特色がよく窺える部位。

刀工は、ひとつの作品ごとに茎尻の形状を変えるということはありません。そのため、茎尻の形状は、その刀工の作品かどうか真贋を見分けるヒントにもなる部位なのです。

茎尻の種類

茎尻は形状によって、栗尻・刃上栗尻・剣形・入山形・切りなどに分類されます。

①栗尻

栗尻は、丸い栗の実のような形状をした、茎尻の中で最も一般的な形のもの。

②刃上栗尻(はあがりくりじり)

栗尻と同じく丸みがありますが、鎬筋を境にして、棟側よりも刃側の角度が急に上がっていく形状の茎尻。

③剣形

先端が左右対称にとがった、両刃の剣のような形状をしたもの。

④入山形(いりやまがた)

刃側が長く棟側が短く仕立てられており、先端がとがっている茎尻。

⑤切り(きり)

横一文字に切り揃えたような形状をしており、別名「一文字」とも呼ばれます。「切り」の「鑢目」(やすりめ)は磨上げを行った刀剣に多く見られ、生ぶ茎にはほとんど見られません。

茎尻の種類

茎尻の種類

鑢目

鑢目とは
鑢目

鑢目

「鑢目」とは、刀剣の持ち手部分である柄に差し込む茎を抜けにくくするために、茎に施した滑り止めのことを指します。

上古刀の時代には、鎚(つち)で叩いて整えただけの「鎚目」(つちめ)でも十分でしたが、次第に鑢が掛けられるようになり、時代が下るにつれて、美観を考慮した「化粧鑢」(けしょうやすり)が登場。鑢目にも刀工の意匠を凝らしたものが見られるようになりました。

左利きの刀工がかける「逆鑢」(ぎゃくやすり)など、作り手の細かい癖が分かるポイントになっている部位で、作刀された時代や流派、刀工などが分かるため、鑢目は鑑定する際のポイントでもあります。

鑢目の種類
①鏟鋤(せんすき)

鏟鋤は、「鏟」(せん)という鉋(かんな)で茎の表面を鋤き取ったもの。縦の荒い線だけが見られます。

②檜垣鑢(ひがきやすり)

檜を編んだ垣をモチーフにした文様である「檜垣」のような鑢目。「筋違鑢」(すじかいやすり)と「逆筋違鑢」(ぎゃくすじかいやすり)を斜めに交差させており、大和伝美濃伝の特に関派、及びその流れを汲む刀工の茎によく見られます。

③化粧鑢

化粧鑢とは、江戸時代以降に施された、装飾性に優れた意匠の鑢目のこと。新刀新々刀にしか見られず、特に決まった形式はありません。

刀工が様々に工夫し、香を包む袱紗の畳み目をベースに考案された摂津国(現在の大阪府)の「香包鑢」(こうづつみやすり)など、流派ごとに特徴ある個性的な化粧鑢が生まれました。

④切鑢(きりやすり)・横鑢(よこやすり)

鑢目を「鎬筋」に直角に、刀身に対して横向きに掛けており、「横鑢」とも呼ばれます。最も標準的な鑢目です。

⑤勝手下り鑢(かってさがりやすり)・勝手上り鑢(かってあがりやすり)

「勝手」とは右側を指すことから、鑢目が右上がりに掛けられているのが「勝手上り鑢」で、鑢目が右下がりに掛けられているものは「勝手下り鑢」と呼ばれます。左利きの刀工が作刀した茎に多く見られる鑢目です。

⑥筋違鑢・逆筋違鑢

勝手下り鑢の傾斜がさらに急になった鑢目のこと。勝手上り鑢の傾斜が大きくなると、「逆筋違鑢」と呼ばれます。

⑦大筋違鑢(おおすじかいやすり)・逆大筋違鑢(ぎゃくおおすじかいやすり)

「筋違鑢」のうち、さらに角度が急になった鑢目で、目安としてはおおむね45度以上。筑前国(現在の福岡県)の左文字派、備中国(現在の岡山県)の青江派などの作刀によく見られます。

⑧鷹ノ羽鑢(たかのはやすり)・逆鷹ノ羽鑢(ぎゃくたかのはやすり)

「鷹ノ羽鑢」は、鷹が羽を広げている様子に似ていることから、名付けられた鑢目です。

シダ科の植物にも似ていることから、別名「羊歯鑢」(しだやすり)とも呼ばれ、大和伝や美濃伝関派の刀工の作に多く見られます。鷹ノ羽鑢は、鎬筋より刃側に逆筋違鑢、棟側に筋違鑢を掛けた鑢目で、逆に刃側に筋違鑢、棟側に逆筋違鑢を掛けた鑢目を「逆鷹羽鑢」と呼びます。

鑢目の種類 鑢目の種類

鑢目の種類

銘とは
銘切

銘切

銘(めい)とは、刀剣の茎に刻まれた、刀剣の作者名や作刀年を刻んだ文字列のこと。奈良時代に施行された「大宝律令」によって義務付けられ、平安時代末期から一般化しました。

「鏨」(たがね)を打ち込んだ痕や銘の底に発生した錆などが鑑賞され、真贋を見極めるポイントでもあります。ほとんどが銘切り鏨で切った「切銘」(きりめい)ですが、江戸時代初期の「繁慶」(はんけい)一門が唯一、彫鏨で銘を彫り込む「彫銘」(ほりめい)を用いました。

茎は、通常柄に収められ、隠れている部位ですが、研磨などの際には柄が外され、茎を観ることができるのです。そこに刻まれているのが、刀剣を鍛えた刀工の名前や作刀年などの銘。

銘は、この刀剣が一体いつ、どこで、誰によって作刀されたのかなどの詳細が分かる部位なのです。なお、銘がない刀剣は、無銘(むめい)と呼ばれます。

基本情報が入った銘
①作者銘
作者銘

作者銘

最も代表的な銘と言える、日本刀の作者である刀工の名前を切った銘です。一般的に太刀は佩表に、打刀は差表に作者銘が切られました。

②受領銘(ずりょうめい)
受領銘

受領銘

受領銘とは、刀工が、自分の名前の上に朝廷や幕府から与えられた国司名を付けて切った銘のこと。

実際に治めることはない名目上の官位ですが、正式な手続きが踏まれており、江戸時代には多くの刀工が受領しました。刀工銘に付けられた「守」(かみ)、「大掾」(だいじょう)、「介」(すけ)などがこれにあたります。

③紀年銘
紀年銘

紀年銘

作刀年月を記した銘で、一般に太刀なら佩裏、打刀なら差裏に入れるため、「裏銘」とも呼ばれます。年号に加え、正確な月日を刻む場合もありますが、多くは焼き入れに適した時期である二月日、八月日と切られました。

④所持銘

刀剣の所持者の名前を入れた銘のことで、主に来歴などを知ることができます。多くは、刀を注文する際に注文者が希望をして切った銘ですが、「宗三左文字」に見られるように、刀剣を入手した人物がのちに、氏名に加え、所持するに至った由来を切る場合も存在。所持銘は、室町時代と江戸時代末期の刀剣に多く見られます。

宗三左文字

宗三左文字

⑤注文銘

刀剣を注文した人の名前を切った銘で、刀工の名前と、注文者の名前を同時に切ったもの。刀剣には、武士などから注文されて仕上げる「注文打ち」と、大量生産された「数打ち」と呼ばれる物があり、この注文銘が切られたのは注文打ちの刀剣に限られます。

⑥截断銘(せつだんめい/さいだんめい)
截断銘

截断銘

試し切りの評価を、金象嵌銘や「切付銘」(きりつけめい:のちの所有者が切り付けた銘)などで記録した、切れ味を表す銘のことです。処刑された罪人の身体を使った場合は、人体の截断部位や切れ味を記しました。

磨上げた茎の銘・後入れされた銘
①折返銘(おりかえしめい)
折返銘

折返銘

折返銘とは、磨上げの際に、銘を残すために銘が入った部分を裏面に折り返して嵌め込んだ銘のこと。当初の銘を折り返して嵌めているため、文字が上下反対になっているのが特徴です。

②額銘(がくめい)・短冊銘

大きく磨上げた際、折り返しても銘が残せないときに、元々の銘を短冊形に切り取って磨上げたのちの茎に嵌め込んだ銘のこと。嵌め込んだ銘が額のように見えることから額銘と言われ、短冊形に切り取ることから短冊銘とも呼ばれます。

③朱銘

朱銘とは、茎を傷付けないために朱漆で書かれた銘のことです。一般的に生ぶ茎に入れられ、表に刀工名、裏に由来や鑑定者の氏名や花押、伝承にちなんだ号を記します。

④金粉銘

金粉を混ぜた漆で記された銘のことで、朱銘と同様に鑑定家が刀剣を極めた際に入れられた銘です。金粉銘は、磨上げや生ぶを問わずに用いられ、比較的近世の作品に見られます。

⑤象嵌銘
金象嵌銘

金象嵌銘

象嵌銘は象嵌で記した銘のことで、「金象嵌銘」や「銀象嵌銘」などの種類があります。大磨上げや無銘の刀剣に限り、本阿弥家が鑑定した証として嵌入(かんにゅう)されました。

目釘穴

目釘穴とは
目釘穴

目釘穴

目釘穴(めくぎあな)とは、柄に「目釘」で茎を固定するために穿たれた穴のことを言います。基本的に茎は、柄に開けた穴に挿し込んであるだけであるため、戦闘中に敵を切ったり、あるいは突いたりしたとき、刀身が抜けないように柄と茎に釘のような留め具を通して固定しました。

時代の移り変わりによる具合の悪さや、磨上げによって開け直されることもあり、穴が複数ある刀剣も存在します。目釘穴は、刀身を固定するための釘を通すだけの穴ではなく、機能的にも強度的にも、非常によく考えられた刀剣の要(かなめ)とも言える部位のひとつです。

目釘の素材は、強度が強くて錆びない竹を直径5~7mm程度の円柱形に削った「竹釘」が用いられるのが一般的。

古代には金属製の目釘も使用されましたが、実際に戦闘で用いると刀身に加わった強い衝撃によって金属が「塑性変形」(そせいへんけい:力を加えて変形させたとき、永久変形を生じる物質の性質)を起こして刀身がガタついたり、目釘が抜けなくなったりしたため、硬くてしなやかな繊維を持つ竹が使われたと考えられています。

目釘穴の位置

直刀が主流だった頃には、目釘穴は茎尻に近い位置に開けられるのが一般的でしたが、反りのある刀剣である太刀が主流になってからは、刀剣の目釘穴は区に近く、かつ刀身を縦に持ったときに茎の左右方向の中心となる場所に、入れられることが多くなりました。

目釘穴の位置はこれが基本とされ、現代まで伝統として守られています。ただし区に近い位置と言えど、太刀と打刀では反りも長さも違うことから、微妙に目釘穴の位置が異なっていました。

太刀の目釘穴は、区から指4本分ほど下がったところに位置し、打刀の場合は、区から指3本分ほどの位置に開けられています。

磨上げによって刀身と茎の長さが変わると、振ったときの回転の中心も変わることから、目釘穴の位置も刃渡りに合わせて変えなくてはいけませんでした。

そのため、長い刀剣が磨上げられるたびに、目釘穴の数が増えていったのです。なかでも、2つ重なった目釘穴には「ダルマ」と言う名称が付けられています。

目釘穴の形状

鎌倉時代までの目釘穴は、刀工が茎の表と裏から「鏨」(たがね:金属を削ったり切ったりするための工具)を叩き込んで抉って作っていため、その形状が歪んだ円形になっていました。

そのため、初期の目釘穴には「瓜実」(うりざね)や「茄実」(なすびざね)、「包み金」(つつみがね)、「瓢箪」(ひょうたん)、「猪の目」(いのめ)など様々な形状をした、「変わり穴」(かわりあな)が見られるのです。

目釘穴の形状を正円にした場合、刀身に加わった衝撃をより広い面で受け止めることが可能となることから、目釘穴の形状は、現在は正円形であるのが良いとされています。

例えば、目釘穴が円でない場合、その形状によっては、刀身にかかる力が1点に集中してしまいます。すると、その部分で目釘が折れたり、茎が損傷したりする恐れがあるのです。そのため、あらゆる方向からの力をなるべく広い面で受けられる正円が、目釘孔の形状においては重宝されました。

また、目釘穴には磨上げていないにもかかわらず、目釘穴が複数開けられているものもあります。

これは「控え目釘穴」と言い、刀剣を使用する際、強い相手と切り合うことが予想される場合や、罪人の身体を切って刀剣の出来栄えを確かめる「試し切り」を行う場合などに、補強を目的として茎尻付近に、目釘穴をひとつ開けることがありました。長大な刀剣が多く使われていた幕末時代などによく見られます。

目釘穴の形

目釘穴の形

刀装具

刀装具とは

「刀装」(とうそう)とは、「拵」とも言い、刀剣の外装部分のことで、文字通り、刀剣を装う(よそおう:美しく飾る)ための物です。そして、刀装に使われる道具類を「刀装具」と言います。刀装具は、元々は刀剣が損傷しないように守る拵の補強具や、帯刀しやすく、かつ使いやすくするための物として作られていました。

しかし、刀剣は武器であると同時に、地位や権力を示す象徴となると、見栄えを意識して、美しく華やかであることが求められていったのです。特に江戸時代以降は、日本の金工芸術が見事に開花し、素材やデザインに凝った、素晴らしい刀装具がたくさん生み出されました。

鍔とは、刀剣を握る柄と刀身の間にある刀装具です。主な目的は手を保護するためですが、刀の重心を調節するといった役割もかねています。平和な時代になると、凝った細工の施された芸術的な鍔が登場。

鍔には、太刀に付ける「太刀鍔」と、打刀や脇差に付ける「打刀鍔」が存在し、現在、専ら美術品として観賞されているのは打刀鍔です。鍔には表裏があり、帯びたときに上になる、柄側の部分が表。表面は装飾や色合いなど、裏面より華やかな意匠が施されている作品が多く制作されました。

①打刀鍔
打刀鍔

打刀鍔

刃を上向きに身に付ける打刀や、脇差に付ける打刀鍔の茎櫃は、刃の方向である上部が細くなるのが特徴です。

また打刀鍔には、茎櫃の片側、または両側に(こうがい)や小柄(こづか)が鍔にあたらないようにするために櫃が開けられました。しかし、刀装の様式や持ち主の好みなどにより、打刀鍔でも櫃がない物もあります。

②太刀鍔
太刀鍔

太刀鍔

刃を下向きに身に付ける太刀に付ける太刀鍔の茎櫃は、刃の方向である下部が細くなるのが特徴。打刀鍔とは違い、太刀鍔には茎櫃以外の穴は開けられません。

目貫
目貫

目貫

目貫とは、柄の中央あたりの表裏に装着された小さな金具のこと。本来は、日本刀の柄の表と裏から穴に通して、柄から刀身が抜け出さない目的で付けられた目釘の頭に付けられていた物です。

のちに目釘と目貫は分かれて、目釘は実用本位の物となり、目貫は装飾性のために付けられるようになりました。しかし、目貫が柄巻の糸の下に巻き込んで作られるようになると、柄を握った際の握り調子を良くするなど、重要な役割も果たすようになったのです。

実用品から装飾品へと変わっていった目貫は、獅子や虎などの動物や家紋、桜や鬼灯などの植物や鶴亀などの縁起物など、様々なデザインの物が制作されるようになりました。目貫は、江戸時代の武士が多種多様なデザインの目貫を用いてお洒落を楽しんだ部位なのです。

笄

笄とは、小柄と対になるように日本刀の鞘に取り付けられた、身だしなみを整えるために用いられた小道具です。打刀拵にのみ付けられる物で、鞘の差表の鯉口部分に収められました。

笄は、髪や髷の手入れなどをする際に用いられる、江戸時代の武士の美意識を感じられる装飾品。一方で、身だしなみ用ではなく、携帯用のお箸として使われたのではないかとされる、先端が2又に分かれた「割笄」(さきこうがい/わりこうがい)と呼ばれる笄も存在します。

なお、江戸時代における大小2本差の小とされた脇差の刀装具では、笄は省略され、目貫と小柄のみが装着されました。

小柄
小柄

小柄

小柄とは、日本刀の鞘に付けられた細工用の小刀で、緊急用の武器や、現在で言うペーパーナイフやカッターナイフとして使用された刀装具です。

小柄は笄とは反対側の、鞘の鯉口(こいくち)付近にある差裏の溝に収められました。通常小柄は太刀拵には付けられず、打刀拵や脇差拵に付けられます。

なお、目貫・笄・小柄が同一の作者の手による物で、同じ図柄・意匠の物を特に「三所物」と呼びます。

縁頭
縁頭

縁頭

縁頭とは、打刀拵の柄を補強するために付けられた刀装具のこと。先端に取り付けた金具を「」(かしら)、口のほうに取り付けた金具を「」(ふち)と言い、頭と縁はセットで「縁頭」(ふちがしら)と呼ばれます。

頭は、鞘尻(さやじり)の鐺(こじり)と共に、強度を高める目的があるので、金属あるいは動物の骨、牙、殻などによって制作されました。縁と頭は、刀剣を装う金具類の中でも目立つことから、統一された世界観で表現されることが多く、意匠に凝った物が多数作られています。

なお、太刀の場合は、太刀拵の柄頭を保護するための金具を「冑金/兜金」(かぶとがね)、柄口(つかぐち:柄の入口)に装着する金具を「縁/縁金物」と(ふち/ふちかなもの)呼びます。

鎺の役割

鎺の役割

とは、刀身が鞘から抜けないようにするための金具のこと。刀装具のなかでも最も重要な部位と言われる鎺は、刀剣を鞘(さや)へ収めたときに、刀身と鞘がぶつかったり刀身が鞘から抜け落ちてしまったりするのを防ぐ役割があります。「はばき」という名称は、人が脚に着ける脛巾(はばき)に形状が似ていることから付けられました。

刀身の棟区・刃区と、平(ひら)の部分を取り巻いている筒状の金属部品で、鎺を正面から観ると、刀身と同じ形に制作されています。

鎺の部位名称

鎺の部位名称

鎺の上端を「貝先」(かいさき)、下端を「台尻」(だいじり)と言い、貝先は刀身棟区・刃区と接する部分。また、棟側にある鎺の切れ込みを「吞込み」(のみこみ)と言い、ここに刀身の区という出っ張った部分が当たることで刀身を固く固定することができるのです。

鎺は大別して、主に太刀拵に使用される「一重鎺」(ひとえはばき)と、主に打刀拵に使用される「二重鎺」(ふたえはばき)の2種類が存在します。

①一重鎺
一重鎺

一重鎺

一重鎺は「一枚鎺」(いちまいはばき)とも言われる、太刀、打刀、短刀、脇差、薙刀など、どの刀剣にも付けられる最も一般的な鎺です。単体構造ですが、装飾の彫りや鑢がある物もあり、新刀に多く用いられました。

②二重鎺
二重鎺

二重鎺

二重鎺は、「二枚鎺」(にまいはばき)、「袴鎺」(はかまはばき)とも言われ、主に装飾を目的に制作された鎺です。刀身に接する下貝に、ふくらみのある上貝(蓋)と呼ばれる袴を装着して作られるようになりました。古刀に作例が多くあります。

白鞘

白鞘

鞘とは、刀身を収め、保護したりするための刀装具のこと。刀身を雨露や埃から保護する鞘は、木地に漆塗を施した物だけでなく、皮製や、鞘の上に竹や籐を巻いて堅牢さを高めた物も制作されていました。

鞘は、鍔などの金具や塗りが施された意匠性の高い外出用の拵と、家庭内で刀身を保護・保存する際に刀身を収めておく「白鞘」(しらさや)の大きく2種類に分類されます。

特に拵は時代を経るにつれて華やかな装飾が施されるようになり、特に桃山文化の影響を受けた派手な作は「桃山拵」と呼ばれます。江戸時代に入ると拵の装飾技術はさらに発展し、多様な素材と意匠によって芸術性を高めていった部位でもあるのです。

柄

柄とは、茎が収められる部位で、刀剣を握る刀装具のこと。大半は木製で作られ、その上から鮫皮を張り、細い紐や皮などを巻くことで柄が制作されます。

時代が下るにつれて、柄は実用面ばかりでなく、装飾的な価値を決める刀装具の一部としても重要視されました。柄は装飾的な部分を含めて刀剣の価値を決める大切な要素であり、高価な装飾が施された柄は、大名間の贈答にも使われたのです。

刀剣の柄は、「鞘師」(さやし)が作った柄木地(つかきじ)に、磨き上げた「鮫皮」(さめがわ)を続飯(そくい:飯粒で作ったのり)で接着。その上から柄糸を巻くのが基本的な構造。

馬上で使用するのに適した太刀の柄は、片手でも持ちやすいように長く反りがありますが、南北朝時代から室町時代にかけて主流となった打刀の柄は、両手で持って地上で戦うために真っ直ぐなのが特徴です。

柄巻

柄巻とは、刀剣の柄を糸や革などで巻いた刀装のこと。柄の補強や、手溜りを良くして握りやすくするために施された装飾で、材料によって、「糸巻」、「革巻」、「変わり巻き」などに分類されます。

糸巻は、色鮮やかで多種あり、水にぬれても固くならない、血がついてもすべりにくいなど多くの利点がありますが、破損しやすく、度々巻きなおしをする必要があるのが難点。革巻は、堅牢で耐久性がありますが、水にぬれると硬化して握り具合が悪くなり、血がつくと滑りやすく、色が地味で巻きにくいという欠点があります。

江戸時代になると、柄巻にも装飾性を追求し、糸巻や変わり巻の上に漆で加工された「塗柄」(ぬりづか)などが出現しました。

著名な刀10振

平安時代中期、日本独自の製法により刀は誕生。以来、名刀と謳われる作品は数多く歴史に名を残し、偉人達に愛されてきました。ここでは、日本が誇る刀の中から著名な名刀をご紹介します。

三日月宗近

三日月宗近」(みかづきむねちか)は、平安時代に山城国(現在の京都府)で活動した刀工「三条宗近」(さんじょうむねちか)作の太刀。三日月宗近の最大の特徴は、その名の由来にもなった三日月形の「打徐け」(うちのけ:刃縁に現れる弧状の模様)が刃文にあることです。

天下五剣」の1振にも選ばれ、5振の中で最も美しいと言われています。天下五剣とは、数ある中でも特に名刀と言われている刀で、「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)、「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)、「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)、「大典太光世」(おおでんたみつよ)、そして三日月宗近のことです。

刀身に「鎬」(しのぎ)と「反り」のある刀としては最古の作品のひとつであり、江戸時代の書物「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にも名を連ねています。

享保名物帳とは、8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)の命を受けて編纂された名刀帳のことです。

伝来については諸説あり、足利将軍家に代々伝わる重宝でしたが、室町幕府13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)が暗殺された際に奪われたとする説。または出雲国(現在の島根県)の大名・尼子氏の家臣「山中鹿之介」(やまなかしかのすけ)が佩用したとする説などが伝わりますが、どれも伝承の域を出ていません。

三日月宗近が確かな史料に登場するのは、「豊臣秀吉」の正室「ねね」が亡くなった際に、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)に贈られたとされるところからです。その後は、徳川宗家の重宝として戦後まで伝わり、個人の収集家の手を経て、現在は「東京国立博物館」(東京都台東区)にて保管・展示が行われています。

刀身は、平安時代から鎌倉時代の太刀に多い、刀身の手元は太く先端に向けて細くなる優美な姿。刃文は小乱れを主体として、前述した三日月形の打徐けが入ります。地鉄はよく詰んだ小板目肌に、生ぶ茎は雉子股(きじもも)形です。佩裏には、「三条」と二字銘を切っています。

三日月宗近
三日月宗近
三条
時代
平安時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
足利家 → 徳川秀忠 →
東京国立博物館

鬼丸国綱

鬼丸国綱」は、天下五剣の中で唯一、皇室御物となっている刀です。また名前に「鬼」と付くなどいかにも恐ろしげな号。これは持ち主であった鎌倉幕府5代執権「北条時頼」(ほうじょうときより)が見た夢が大きくかかわります。

北条時頼は、夜ごと夢に現われる小鬼に悩まされていました。そして、とある晩の夢に翁が現れ「太刀を磨いて部屋に立てかけなさい」と助言を受けます。その通りにして就寝したところ、太刀が倒れ置いてあった火鉢の足を切り落としました。なんと斬り落とされた火鉢の脚には、夢に現れる小鬼とそっくりな鬼が象られていたのです。

これ以降、北条時頼の夢に小鬼が現われることはなくなり、邪気を払う霊剣として「鬼丸國綱」と名付けました。

長く北条家の宝刀として伝来した鬼丸国綱でしたが、1331年(元弘元年)に起きた「元弘の乱」で北条家が滅亡。戦利品として持ち去られた鬼丸国綱の新しい所持者は、北条家を倒した武将「新田義貞」(にったよしさだ)でした。

名の知れた刀であるが故に鬼丸国綱は、足利家、豊臣家、徳川家、「後水尾天皇」など多くの所有者のもとを渡って行くことになるのです。

鬼丸國綱を作刀した刀工を「国綱」(くにつな)と言い、山城国(現在の京都府)で鎌倉時代初期に活動した人物。

粟田口派」という刀工集団を率いた刀工「国家」(くにいえ)の6人兄弟の末子で、國綱の父や兄達も優れた作刀技術を持ち、それぞれが多くの名刀を世に生み出しています。また「天下三作」(てんがさんさく)に選ばれている刀工のひとり「吉光」(よしみつ)は国綱の兄に当たる人物です。

鬼丸国綱
鬼丸国綱
國綱
時代
鎌倉時代
鑑定区分
御物
所蔵・伝来
北条時頼 → 新田義貞 →
斯波高経 → 足利家 →
織田信長 → 豊臣秀吉 →
徳川家康 → 宮内庁

大包平

「大包平」(おおかねひら)は、日本刀の最高傑作として広く知られている刀です。その知名度は天下五剣のひとつである童子切安綱と合わせて、「東の童子切、西の大包平」というように「日本刀の東西両横綱」とも称えられました。

大包平が「大」の字を冠している由来は諸説あり、享保名物帳に「寸長き故、名付く」(長大なために、名付けられた)と書かれているからだとする説。または、刀工・包平の最高傑作に対する称賛として「大」が付けられたとする説があります。

実際、大包平は刃長が89.2cmもあり、他の名刀と呼ばれる太刀の中でもはるかに長いのです。そのため長いから「大」と付けられたとする説もあながち否定できないと言われています。

通常、大包平のような長さを持つ太刀となると、重量は2kgを超える重さになるのが普通ですが、重さに対して重量は1.35kgと驚くほど軽量。その軽さの理由としては、通常の太刀に比べて重ね(刀身の厚み)が薄いことが挙げられます。作刀された平安時代当時でも長寸でありながら重ねの薄さを両立させる技術は非常に珍しく、この高い作刀技術が大包平を評価する所以です。

このように刀剣史上最高の名作のひとつと評価されている大包平ですが、多くの事実が謎に包まれています。織田家や豊臣家、徳川家にも仕えた大名「池田輝政」(いけだてるまさ)に渡った経緯などもそのひとつ。

池田家所伝によると池田輝政の佩刀だったとのことですが、いつ・どのようにして大包平が池田家に伝来したのかは分かっていないのです。

池田輝政が没したあとも長らく池田家にて伝来してきた大包平ですが、戦後に池田家を出され、1967年(昭和42年)に文部省が6,500万円で購入。現在は、東京国立博物館にて収蔵・保管されています。

作刀したのは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて備前国(現在の岡山県東南部)で作刀した古備前派の刀工「包平」(かねひら)。備前国は、鎌倉時代中期に「一文字派」や「長船派」などの流派が誕生し、刀の一大産地となりましたが、古備前はこれらより古い流派です。その中でも包平は、古備前を代表する名工であり、大包平は包平の傑作として知られています。

大包平
大包平
備前国包平作
時代
平安時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
池田輝政 →
独立行政法人
国立文化財機構
(東京国立博物館)

津田遠江長光

「津田遠江長光」(つだとおとうみながみつ)は、「織田信長」の愛刀で、のちに「明智光秀」が「本能寺の変」のあとに「安土城」(現在の滋賀県近江八幡市)から持ち出したと言われています。その後、家老の「津田遠江重久」(つだとおとうみしげひさ)に本能寺の変の功労として与えたことから、「津田遠江長光」の名が付きました。

「山崎の戦い」で主君の明智光秀が討たれたため、津田遠江守重久はしばらく放浪しますが、1596年(文禄5年)に前田家に仕えることになります。その後、津田遠江長光は加賀藩2代藩主「前田利常」(まえだとしつね)に献上。またここからさらに、加賀藩5代藩主「前田吉徳」(まえだよしのり)が徳川将軍家の姫を正室に迎える返礼にと、徳川将軍家に津田遠江長光を献上しました。

1709年(宝永6年)に、6代将軍「徳川家宣」(とくがわいえのぶ)が尾張徳川家の4代藩主「徳川吉通」(とくがわよしみち)へ下賜。以来、江戸時代を通じて尾張徳川家に伝来し、現在は「徳川美術館」(名古屋市東区)が所蔵しています。

津田遠江長光を作刀したのは鎌倉時代後期に備前国で活躍した刀工「長光」(ながみつ)です。長光は、長船派の祖と呼ばれる「光忠」(みつただ)の子で、現存する在銘刀剣が多い刀工のひとり。そして長光、子「景光」(かげみつ)、弟「真長」(さねなが)と合わせて、長船三作(おさふねさんさく)に数えられる名工でもあります。

作風は反り高く踏張りのきいた優美な姿に、小さく締まった猪首鋒/猪首切先(いくびきっさき)。小模様に乱れ込み「三作帽子」(さんさくぼうし)とも呼ばれる帽子には、長光の特徴がよく表われています。そして互の目を主体とした大丁子乱れとなる、長船派らしい華やかな刃文。長船派を代表する刀工の、堂々とした太刀姿の作品となっています。

津田遠江長光
津田遠江長光
長光
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
織田信長 → 明智光秀 →
遠江重久 → 前田利常 →
徳川将軍家 → 徳川美術館

日光一文字

「日光一文字」(にっこういちもんじ)は、「日光権現社」(現在の栃木県日光市。現在の名称は[日光二荒山神社])に奉納されていた刀を「北条早雲」(ほうじょうそううん)が譲り受けたとする伝承を持つ刀です。そのため名前の由来は「日光権現社」から付けられたとされています。

北条家に伝わる宝刀として代々当主に伝わりましたが、5代目当主「北条氏直」(ほうじょううじなお)より戦国武将「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)へと贈られました。これは1590年(天正18年)に起きた「小田原征伐」の際に豊臣秀吉の使者として「小田原城」(現在の神奈川県小田原市)開城の説得に来た黒田官兵衛への降伏仲介の謝礼だったと言われています。

その後は、黒田家の家宝として同家に伝来し、戦後の1952年(昭和27年)に国宝に指定。黒田家14代当主「黒田長礼」(くろだながみち)の遺言により、黒田家が所有した日光一文字をはじめ、漢委奴国王印など歴史的価値の高い品々を福岡市に寄贈しました。その中には名物「へし切長谷部」、三名槍のひとつ「日本号」なども含まれています。

日光一文字は、華麗な「重花丁子乱」(じゅうかちょうじみだれ)の刃文から、鎌倉時代に備前国で活動した「福岡一文字派」の刀工によって作られた刀だと伝わります。日光一文字は無銘作ですが、福岡一文字派は銘に「一」と切ったことから「一文字」と呼ばれるようになりました。日光一文字は、福岡一文字派の中でも第一級品との評価を受けている刀です。

日光一文字
日光一文字
無銘
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
北条氏直 → 黒田如水 →
福岡市博物館

一期一振

一期一振」(いちごひとふり)は、「正宗」(まさむね)、「郷義弘/江義弘」(ごうよしひろ)と並び、「天下三作」として称される「吉光」による作品です。吉光は短刀や剣の作刀を得意とした刀工であるため、一期一振は「一生に1振だけ作った太刀」という意味で付けられたとされています。

豊臣秀吉の愛刀だったのですが、その入手経路にはいくつかの説があるのです。ひとつ目は越前国(現在の福井県)の朝倉家に伝来したとされる説、2つ目は「本阿弥祐徳」(ほんあみゆうとく)が堺で購入し豊臣秀吉が買い上げたとする説。そして3つ目は1590年(天正18年)に毛利家から豊臣秀吉へ献上されたとする説です。

いずれにせよ豊臣秀吉は手に入れた一期一振を気に入り、いくつかある刀蔵の「一之箱」に自身が最も大切にしている刀として収めました。

大切にされていましたが、豊臣秀吉が亡くなった十数年後に起きた「大阪冬の陣・夏の陣」で一期一振は「大阪城」(現在の大阪府中央区)落城と共に燃えてしまいます。焼身となって発見されたものの、徳川家康の命ですぐさま再刃され復活。

再刃されたあとの一期一振は、尾張徳川家に預けられることになり、江戸時代末期まで同家にて保管されることになります。幕末の1863年(文久3年)に尾張藩15代藩主「徳川茂徳」(とくがわもちなが)が「孝明天皇」(こうめいてんのう)に献上したことで、本太刀は現在に至るまで皇室御物として歴代天皇が相続することになりました。

本太刀は、大阪城落城の際に焼身となったため、焼き直し前は2尺8寸3分(約85.8cm)ありましたが、2尺2寸8分(約69.1cm)に磨上げをし、その際に銘は切り取らずに「額銘」(がくめい:銘を短冊状に切り取り、茎の別の場所に嵌め込むこと)としています。刃文は直刃調の小互の目乱れ、地鉄は板目肌です。

一期一振
一期一振
吉光
時代
鎌倉時代
鑑定区分
御物
所蔵・伝来
毛利輝元 → 豊臣秀吉

石田正宗

「石田正宗」(いしだまさむね)は、「石田三成」が愛用していたことから「石田正宗」と呼ばれる刀です。享保名物帳によると「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)が400貫で購入し、これを石田三成に贈ったとしています。この石田正宗最大の特徴は、刀身に大きな切込のような疵(きず)がついていること。このことから別名「切込正宗」と呼ばれますが、この瑕が誰によって付けられたのかは不明です。

石田正宗が、主人である石田三成から別の人物に渡ったのは、「石田三成襲撃事件」のときと言われています。事件当時、豊臣政権で行政を担当する文治派の石田三成と、「加藤清正」(かとうきよまさ)を中心とする武断派との対立が起きていました。

加藤清正は同じく石田三成に恨みを持つ武断派の武将を集め、石田三成の屋敷を襲撃。このとき石田三成が保護を求めて逃げ込んだのが徳川家康の屋敷であり、たまたま屋敷にいた次男「結城秀康」(ゆうきひでやす)によって、石田三成は居城「佐和山城」(現在の滋賀県彦根市)まで送られることになります。石田三成は、送ってもらった返礼として石田正宗を結城秀康に贈りました。

結城秀康は幼少期を豊臣秀吉のもとで過ごしていたこともあり、石田三成と仲が良かったと言われています。結城秀康は、大いに喜び贈られた刀に「石田正宗」と名付けて愛用。結城秀康はその後、松平と復姓。石田正宗は、結城秀康が初代藩主を務めた福井藩・松平家から分家となる津山藩・松平家に伝えられ、現在は東京国立博物館が所蔵しています。

石田正宗は、鎌倉時代末期に活躍した刀工・正宗によって作られました。正宗は、相州伝の実質的な創始者と呼ばれ、完成した相州伝の技術を惜しみなく弟子達に伝授。その教えを学んだ弟子達が全国で活躍した結果、相州伝は南北朝時代に一世を風靡しました。

石田正宗
石田正宗
無銘
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
石田三成 → 結城秀康 →
津山藩松平家 →
東京国立博物館

稲葉江

「稲葉江」(いなばごう)は、戦国武将「稲葉重通」(いなばしげみち)が所持していたことから付けられた刀です。この稲葉重通は美濃国の出身で当初は、美濃国の守護・土岐氏に仕え、その後は「斎藤道三」(さいとうどうさん)、織田信長などに仕えました。また、江戸幕府3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)の乳母「春日局」(かすがのつぼね)の伯父に当たる人物でもあります。

稲葉重通が亡くなると、稲葉江は徳川家康に所望され500貫文(現在の価値で約1,500万円相当)で買い取られました。そして1600年(慶長5年)の年に起きた関ヶ原の戦いで徳川家康は、次男・結城秀康に激励の意味を込めて、戦支度の中に秘蔵の軍配や具足、そしてこの稲葉江を与えたと言います。その後、結城秀康は松平姓に復姓し、福井藩・松平家から津山松平家へと伝わり、現在は「柏原美術館」(山口県岩国市)が所蔵しています。

稲葉江は、南北朝時代に越中国(現在の富山県)で活躍した刀工・江義弘/郷義弘が作刀した刀です。江義弘/郷義弘は、相州伝を確立した正宗から影響を受けた刀工10人を称えて呼ぶ「正宗十哲」(まさむねじってつ)にも選ばれた刀工。夭折(ようせつ)したこともあり、作刀が極めて少なく、しかもすべて無銘で正真の在銘がありません。そのため、あるとされているけれど実際に見たことのない物の例えとして「江/郷と化け物は見たことがない」という言葉まで生まれました。

作風は、刃文が小湾れに互の目交じり、足入り、小沸がよくつきます。また刀身の焼幅がとても広く物打より上は特に広くなっているため、その分刃文が大模様に乱れているのです。そして茎は大磨上であり、茎には金象嵌銘(きんぞうがんめい)が入っています。

金象嵌銘は、刀剣鑑定を生業とする一門・本阿弥家が大磨り上無銘作の刀を正真鑑定し、正真と認められた作品に入れてもらう象嵌のこと。稲葉江は1585年(天正13年)に差裏に「天正十三十二月日江本阿弥磨上之(花押)」、差表に「所持稲葉勘右衛門尉」と記され、江義弘/郷義弘の正真だと認められました。

稲葉江
稲葉江
無銘
時代
南北朝時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
稲葉重通 → 徳川家康 →
結城秀康 → 津山松平家 →
作州松平家 →
柏原美術館
(旧岩国美術館)

江雪左文字

「江雪左文字」(こうせつさもんじ)は、北条氏(後北条)の家臣「板部岡江雪斎」(いたべおかこうせつさい)の愛刀だったことからこの名が付けられました。板部岡江雪斎は、茶の湯や和歌などにも通じた教養人。さらには交渉術にも長け、主家である北条氏と、豊臣秀吉・徳川家康との対立の際には、交渉役として活躍しました。

北条氏没落後は豊臣秀吉に仕えその死後は、徳川家康に仕え江雪左文字はこのときに徳川家康に献上。のちに江雪左文字は、紀伊藩初代藩主「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)に与えられ、徳川頼宣は「大阪の陣」に帯びて参戦したとされています。

1934年(昭和9年)に、紀州徳川家より競売に出され「長尾美術館」が所有したものの第2次世界大戦後に同美術館を離れました。その後いくつかの企業が所有し、広島県福山市のふくやま美術館に寄託されていましたが、2018年(平成30年)に当時の所有者より福山市に寄贈。現在は「ふくやま美術館」(広島県福山市)が所蔵しています。

江雪左文字を作ったのは、南北朝時代初期に筑前国(現在の福岡県北西部)で作刀した刀工「左安吉」(さのやすよし:別名[大左])。左文字の由来は、茎に「左」と一字を切ることからこのように呼ばれるようになりました。また左安吉は、相州伝を確立した刀工・正宗に影響を受けた優れた刀工として正宗十哲にも選ばれています。

江雪左文字
江雪左文字
筑州住 左
時代
南北朝時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
板部岡江雪斎 → 徳川家康 →
紀州徳川家 → ふくやま美術館

蜻蛉切

蜻蛉切」(とんぼきり)は、徳川家康の側近として、江戸幕府樹立に貢献した「徳川四天王」のひとり「本多忠勝」(ほんだただかつ)が愛用した槍です。本多忠勝は、四天王の中でも屈指の剛勇の者として知られています。

凄まじい切れ味を持つことで名を馳せた伊勢国(三重県)の刀工「村正」を祖とする三河文殊派の刀工「藤原正真」(ふじわらまさざね)作と伝わる大笹穂槍です。蜻蛉切の名前は、戦場で槍を立てていたところに飛んできた蜻蛉が穂先に当たっただけで真っ二つに切れたことに由来します。

本多忠勝が主君・徳川家康の危機を救う場面には、蜻蛉切が頻繁に登場するのです。1582年(天正10年)に織田信長が明智光秀によって自害に追い込まれた本能寺の変では、徳川家康は、少数の随行者らと堺に滞在。

本多忠勝は、取り乱して自害を口にした徳川家康を諫め、堺から伊賀の山道を抜ける「伊賀越え」によって、本拠地・三河まで無事に帰還を果たしたと言われています。その際、本多忠勝は蜻蛉切を持って一行を先導したとされており、持ち主と槍を含めて、まさに主君・徳川家康の守護神とも言うべき存在なのです。

なお、名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」(メーハク)は蜻蛉切の写しとなる「大笹穂槍 銘 学古作長谷堂住恒平彫同人」を所蔵しています。展示の際にはぜひ、足を運んで鑑賞して下さい。

蜻蛉切
蜻蛉切
藤原正真作
時代
室町時代
鑑定区分
未鑑定
所蔵・伝来
本多忠勝 →
佐野美術館
(個人による寄託)

刀の購入

刀の購入方法

刀を愛好する人でしたら、いつかは自分だけの1振が欲しいと思うことでしょう。けれど、いざ刀を購入するには「どこで買えばいいのか分からない」、「どんな買い方があるのか」など知らないことが山積み。刀剣販売には一般的な「店頭販売」の他に、「出張販売」、「通信販売」、「カタログ販売」などがあり、それぞれがどんな販売方法なのかをご紹介します。

店頭販売
店頭販売

店頭販売

初めて日本刀を購入するという初心者の方にとって、刀剣専門店を訪ねるのはハードルが高いと感じられるかもしれません。

しかし、心配はご無用です。豊富な専門知識を持ったスタッフが、1振1振の詳しい来歴や、古美術品としての価値を教えてくれるので、初心者でも安心して購入することができます。また店頭販売は、貴重な日本刀を手に取りじっくり鑑賞することができるなど、実際の刀の重さや感触を体感できるのが最大のメリットです。

出張販売

出張販売は、刀の販売を行っている店舗へ出向かなくても、刀を購入できる方法。これは、刀剣店のスタッフが自宅などの指定場所まで商品を持ってきてくれるスタイルです。初心者向けというよりも、長年その刀剣専門店と懇意にしているお得意様向けのサービスになります。

カタログ販売
商品カタログ(一例)

商品カタログ(一例)

刀を販売する刀剣専門店には、取り扱い商品のカタログを発行しているお店もあり、申込めば送ってもらえます。

カタログは無料の場合と有料の場合があるので要確認。お店によっては定期購読も可能となりますが、希望する場合は登録申込みをしましょう。

カタログ販売の注意としては、印刷された冊子の場合、店頭販売との間にタイムラグが生じてしまうこと。

一点物である刀はカタログには掲載されているものの、すでに店頭では売り切れてしまっているということもあります。購入したい刀が見つかったときは、すぐお店に連絡することが大切です。

通信販売
通信販売の商品ページ(一例)

通信販売の商品ページ(一例)

刀剣専門店に足を運ぶのが難しい方にとって、最も利用しやすいのが通信販売でしょう。身の回りにあるほとんどの商品がインターネットで購入できる昨今、刀も例外ではありません。

通信販売は、掲載されている刀の画像や解説文を見ながら、膨大な量の商品から好みに合った1振を選ぶことができます。しかもインターネット上に通販サイトを公開している刀剣専門店は多く、膨大な数となる刀の画像や解説文を、家でゆっくりと閲覧することができるのはとても便利です。

通信販売は利用側のメリットだけではなく、実店舗を構えていない刀剣専門店の場合、実店舗を運営する経費が節約できるのでその分商品の値段が割安になるというメリットもあります。

4つの販売方法

4つの販売方法

購入時の注意点

刀を買おうと刀剣専門店に訪れる前に、決めておきたい3つのポイントについて解説します。またそれに付随する注意点についてもご紹介しましょう。

ポイント1:欲しい日本刀のイメージ

一口に刀と言っても、時代や流派ごとに特徴があり、人により好みが分かれるところです。好きな刀工の名前や、古刀が欲しい、こんな刃文が良いなど刀剣専門店のスタッフに伝えれば店頭にある商品の中から好みに合う刀をすすめてもらえます。

また、どんな刀が欲しいのかご自身の好みを把握するためにも、ある程度の勉強が必要です。刀に関する本を読み、刀を展示する美術館や博物館、鑑賞会に足を運ぶなど多くの作品に接する機会を設けましょう。

ポイント2:予算

刀の価格というのは、とても幅が広く作刀年代や刀工によって様々。古刀の名刀ならば数千万、比較的新しい時代の作品では数万円からと、価格はピンキリです。欲しい刀が「どんな価格でも買う」という方もいるかもしれませんが、買い物の際、大抵は予算を決めることでしょう。

おそらく欲しい日本刀のイメージをするときに、価格について同時に考える方が多いかと思います。予算と実際の価格によっては、理想の刀は手に入らないかもしれませんが、スタッフには「イメージと予算」この2点を必ずセットで伝えるようにしましょう。

ポイント3:飾る場所と保管場所
日本刀の飾り方

日本刀の飾り方

意外と忘れがちなのが、購入した刀を「飾る場所」についてです。

そして、この飾る場所と同時に必要なのが「収納場所」。どちらも刀にとって重要な保管場所になるのです。

飾る場所ですが、日本刀というのは通常刀身は飾らず「拵」(こしらえ:日本刀の外装で、装飾品としての意味合いが強い)のみを飾ります。

拵には刀身の代わりに「つな木」と呼ばれる木の刀を入れて、日の当たらない場所で「刀掛け」に置いて飾ります。

そして刀身の保管場所ですが、こちらも日光の遮断はもちろん、湿気の少ない涼しい場所に置き、必ず保存用の「白鞘」(しらさや:刀身の長期保管に適した木製の鞘)に収めて保管しましょう。

せっかく刀を購入したものの、飾る場所がない、という事態は避けたいものです。購入する前に刀を飾る場所を確保し、できるだけその保管場所も整えましょう。

安物には理由がある

初めての刀を選ぶ際、最初は多少の難点があっても手頃な刀を入手したいと考える人もいるかもしれません。しかし安物には安くならざるを得ない理由があり、その見極めが重要なポイントとなります。

●疵(きず)

疵はほとんどの場合、日本刀の価値を下げる物です。疵によっては、美観を損なうだけではなく、そこから折れてしまう恐れもあります。たとえ名工の作であっても、大きな疵のある刀は購入をおすすめしません。

●刃区(はまち)

一般的に、日本刀は「刃区が深いのは健全な証拠」とされています。研ぎすぎて薄く、細くなりすぎてしまい、刃区が少なくなっているような日本刀は、健全とは言えません。特に刃区がなくなっているような刀は、購入しない方が良いでしょう。

●贋作(がんさく:偽物)

刀は贋作の多い美術品と言われています。しかし、刀剣商から購入するほとんどの日本刀には鑑定証が付いているため、まず問題はありません。素人目に贋作を見抜くのは難しいことですが、少しでも違和感があればスタッフに質問し、納得できなければ、購入は見合わせましょう。

刀の保管方法

刀身は白鞘で保存する

刀を自宅で飾る場合、拵だけを「刀掛け」に飾るのが一般的となります。では刀身はどこに保管するのか、そう疑問に思うかもしれません。刀身はとてもデリケートで傷みやすいため「白鞘」に入れて保管します。

白鞘・刀袋

白鞘・刀袋

日本刀にとって拵は、人間でいうところの「特別な日の服」というような意味を持つのです。そのため、日本刀にとっての休憩時間である保管時には、刀身が錆付かないよう普段着となる白鞘に着替えさせなくてはいけません。

白鞘の木材は刀身の湿気を吸収してくれる作用を持つことから、白鞘の中に入れた日本刀は錆付きにくくなります。

さらに、白鞘を「刀袋」に入れて「刀箪笥」(かたなだんす)に収納すれば、湿度の変化や日光に弱い日本刀を守ることが可能。刀箪笥がない場合は、衣類用の箪笥に収納しても大丈夫です。

日本刀を保管する上で、最も避けなくてはいけないのが「押入れの奥」にしまうこと。実は、押入れの奥は湿気がもっともたまりやすい場所となっています。また、樟脳(しょうのう)などの防虫剤は、錆の原因になるので使用するのはやめましょう。

白鞘から抜けなくなったら

湿度の高い梅雨時から秋にかけて、白鞘は湿気を含んで膨張します。ひどいときには「鞘走り」(急に刀身が抜け出ること)する恐れもあるため、取り扱いには十分な注意が必要です。

そしてもっと厄介なのが、冬から春にかけて空気が乾燥する時期。柄と鞘が乾燥して締まりすぎると、鞘から刀身が抜けなくなったり、1度抜いた刀身が、最後まで鞘に収まらなくなったりします。

さらに乾燥が進むと鞘が割れることも。こういうケースでは、無理に力を加えたりせず、湿度が高めなお風呂の脱衣所などに、ひと晩置いておけば直ることがあります。

刀の所持

刀の所持に必要な登録証

刀を購入・所持する際に必要となるのが「銃砲刀剣類登録証」です。

「銃砲刀剣類登録証」とは
銃砲刀剣類登録証

銃砲刀剣類登録証

日本では「銃砲刀剣類所持等取締法第14条」の規定により、美術品もしくは骨董品として価値のある火縄式銃砲などの古式銃砲、または美術品として価値のある刀剣類は、各都道府県教育委員会(旧:文化財保護委員会)において登録しなければならないと定められています。日本古来の製法で作られた日本刀は、すべて「銃砲刀剣類登録証」が必要となるのです。

登録証とは、日本刀の美術品・骨董品としての価値を、国が認めた証となる公文書のこと。銃や日本刀など、ひとつにつき1通が交付される、戸籍のような物です。文化庁に登録された日本刀は、美術品・骨董品としての財産価値を持ち、相続時に財産分与の対象となります。

刀の手入れ

刀は気温の変化や湿度に弱い繊細な美術品。放っておけば錆びてしまうため、そうならないよう受け継いでいくには手入れを施すことが大事です。そんな日本刀の手入れ道具と順序をここでは解説していきます。

刀の手入れ道具
手入れ道具

手入れ道具

①目釘抜き(めくぎぬき)

日本刀の「目釘」を抜くための道具。真鍮(しんちゅう)製や竹製の物があります。

②丁子油(ちょうじあぶら)

刀身の錆を防止するための油です。塗ることで刀身に空気や湿気が触れるのを防ぐ働きを持ちます。もともと、植物性の油が使われていましたが、現在は鉱物性の油が使用されるようになりました。

③打粉(うちこ)

刀身に塗った丁字油を除去するための粉です。砥石の細かな粉を吉野紙などで包み、さらにその上から綿絹で包みます。刀身に軽く打ち付けると、布の部分から打粉が出る仕掛けです。

④拭紙(ぬぐいがみ)

良質の奉書紙(ほうしょがみ)をよく揉んでやわらかくした物。油取り用(下拭い用)と打粉取り用(上拭い用)がありますが、最近ではネル布なども代用品として使用されています。

⑤ネル布

刀身に丁子油を塗るために使用するやわらかめの軽い毛織物。

⑥ベンジン

刀身に塗布した古い丁子油を除去するために使用する化学物質です。無水エタノール等でも代用は可能。ネル紙やティッシュに付けて油を拭い取ります。

刀の手入れ順序
①目釘を抜く

まずは、柄と刀身を固定している目釘を、目釘抜きで抜きましょう。

②鞘を抜く
鞘を抜く

鞘を抜く

刃が上向きになるよう、右手で柄を上から握ります。左手で鞘を下から掴んでそのまま固定し、右手でゆっくりと刀身を引き抜きましょう。刃先が鞘の内側にぶつからないよう、注意が必要です。

③柄を外す
柄を外す

柄を外す

左手で柄頭(つかがしら)を棟の方から握り、刀身を斜めに立て、右手の拳で左の手首を軽く打ちます。さらに2、3回手首を打つと、「茎」がゆるんで、柄から刀身を抜くことが可能です。このとき強く叩き過ぎると、刀身が飛び出してしまうことがあるので注意しましょう。そして右手で鎺部分を持ち、ゆっくりと柄から引き出します。

④鎺を外す
鎺を外す

鎺を外す

次に、鎺を外します。鎺が固くて外れない場合には、棟の方の鎺を布で保護し、その上を木槌で軽くたたくのが、楽に外すコツです。

⑤下拭いをする

左手で茎部分を持ち、拭紙を使用して、刀身の古い油や汚れを取り除きましょう。

⑥打粉をかける
打ち粉をかける

打ち粉をかける

鎺元(はばきもと)から鋒/切先の方へ、ムラなくポンポンと軽くたたいて打粉をかけます。裏返して、鋒/切先から鎺元の方へ、さらに棟にも打粉をかけましょう。

⑦上拭いをする

下拭いとは違う拭紙を用意して、刀身をもう一度拭います。油のくもりを完全に取りきるまで、打粉と上拭いを2、3度繰り返しましょう。同時に、錆、疵、及びその他の不具合がないかを確認することが必要です。

⑧丁子油を塗る
丁子油を塗る

丁子油を塗る

拭紙(ネル布等でも代用可能)を幅3cm・長さ6cmほどにし、これに丁子油を付けます。右手で刀の棟の方から、拭いと同様の要領で静かに丁寧にムラなく塗ること。刀身に油を塗り終わったら、油の付いた手で、茎にも軽く塗ります。

⑨茎(なかご)を柄に入れる

鎺をかけて、右手で鎺部分を掴み、刀身を立てるように持ちましょう。左手で柄を持ち、ゆっくりと柄に茎を入れ、収まったら、目釘を差します。

⑩刀身を鞘に収める
刀身を鞘に収める

刀身を鞘に収める

右手で柄を持ち、左手で鞘を握りながら、刀身を鞘に収めたら、完了です。

刀の相続

登録証がある場合の手続き

刀剣専門店で刀を購入した場合、すでに銃砲刀剣類登録証が付いていることが多いので心配はいりません。あるいは相続した遺産に刀があり、銃砲刀剣類登録証が付いている場合も大丈夫です。ただし、次に行うべきステップがあります。

それは「所有者変更届出書」(名義変更)の手続き。日本刀を取得後20日以内に、鉄砲刀剣類登録証に記載されている教育委員会へ、所有者変更届出書を郵送か持参して提出をしなければいけません。

各自治体のホームページから「刀剣類所有者変更届出用紙」をダウンロードし、必要事項を記入して送付。また、変更届と一緒に、登録証のコピー提出が必要な場合もあるため、確認が必要です。記入する主な内容は、以下の通りです。

  • ・登録記号番号
  • ・交付年月日
  • ・刀の詳細(種別・長さ・反りなど)
  • ・旧所有者
  • ・新所有者
  • ・取得日

上記の記載に不備があったり登録データと異なったりする場合、登録証のコピーの提出を求められることがあります。手元の登録証を確認しながら、間違いのないように記載しましょう。

また刀剣専門店で刀を購入した場合、この所有者変更届出書は店頭にも置いてありますので、詳細をスタッフに相談してみるのも良いかもしれません。

「銃砲刀剣類登録証」がない場合

正規の手順で刀を購入・所持する場合は、すでに銃砲刀剣類登録証が付いていることが大半です。しかし、遺品等で刀を相続したのはいいけれど登録証がない、といった場合もあります。

登録証がなく、また登録をした形跡のない刀を発見した場合には、すぐ警察署に発見届を提出しなければなりません。そのまま所持していると「銃刀法」(銃砲刀剣類所持等取締法)に抵触する可能性があります。

こうした刀を発見した場合、まず所轄の警察署の生活安全課に連絡を。その後、刀と印鑑を併せて警察署へ持っていきます。届出は、その家の世帯主が望ましいですが、どうしても行けない事情がある場合は、あらかじめ警察に相談しておきしょう。

「銃砲刀剣類登録証」がない場合に必要な手続き
●警察署への届出

現物を発見した状態のままで持参。発見した日時・場所・いきさつなどを質問されますが、登録していなかったことを咎められることはまずないので、安心して届出をしましょう。この届出を行うと「銃砲刀剣類発見届出済証明書」が発行されます。

●教育委員会に登録申請

お住まいの地域の都道府県教育委員会に、銃砲刀剣類登録証と所有者変更届出書の申請を行いましょう。銃砲刀剣類登録証の発行には、教育委員会の専門家による登録審査会が行われます。

この登録審査会で「その日本刀が美術品または骨董品として、価値があるかどうか」を鑑定し、合格すればここでようやく銃砲刀剣類登録証を発行。登録審査手数料は6,300円です。(2018年[平成30年]現在)。なお、その後に行う所有者変更届出書の費用は無料です。

●登録審査会で不合格

登録審査会で判定基準を満たすことができず、辛くも不合格となることがあります。その場合は、残念ながら登録審査手数料の返金はありません。また銘のある刀であっても、あまりに状態が悪いと不合格となったり、審査保留となったりする例もあります。

刀の売却

刀の売却を考える人の中には「今持っている日本刀を売り、新しい日本刀が欲しい」といった方から「相続したものの、保管や管理が難しそう」というような事情を持つ人など様々。こうした刀の売却には「店頭買取」(持込買取)、「出張買取」、「宅配買取」、「オンライン査定」があります。

まず、日本刀を売却する場合、用意するべき物があります。次の3点があることを確認して売却に臨みましょう。

  • ①銃砲刀剣類登録証
  • ②身分証明書
  • ③日本刀本体と付属品
店頭買取

店頭買取をしてもらうために、まずは事前に電話やメールなどで連絡を入れておきましょう。刀剣専門店には刀の専門的な知識を持ったスタッフが揃っていますが、実際の買取を行うことのできる人物が限られているためです。

連絡の際は、買取を行う日本刀や付属品の状態などをできるだけ詳細に伝えます。さらにメールでの連絡であれば、日本刀と付属品の全体から細部までが良く分かるよう撮影し画像データなどを送信しましょう。

ジュラルミンケース

ジュラルミンケース

いざ買取を決めて、店に行く日を予約したら、次は刀の持ち運び方です。刀は専用の刀袋に入れるか、付属の箱や白鞘などがあればそこに収め、中身が飛び出さないよう厳重に梱包しなければなりません。さらに刀専用のジュラルミンケースやゴルフバッグなどに入れ、外見から日本刀であると分からないようにすると良いでしょう。

出張買取

出張買取とは、刀剣専門店のスタッフが約束した日時に自宅を訪れ、その場で査定をしてくれること。

「買取をする日本刀がたくさんある」、「日本刀以外にも鍔や馬具、甲冑[鎧兜]などがあり持ち込みが難しい」、「忙しいので早急に処分したい」といった理由のある方は、出張買取を選択してみるのも方法のひとつです。

出張買取では、査定結果に納得できるようなら売却は即成立。代金を受け取りそのまま品物を運び出してもらうことができるので、出張買取は売却側の手間がかからない便利な方法とも言えます。

宅配買取

「刀剣専門店まで遠くて行けない」、「忙しくてスタッフを呼ぶ暇もない」というような事情で、店頭買取も出張買取も難しいという方には宅配買取を。刀剣専門店に連絡をして宅配買取の希望を伝えれば、梱包・発送の方法を教えてくれます。

刀剣専門店によって違いはありますが、段ボール箱や緩衝材、送り状、申込書類などがセットになった刀剣専用の宅配キットを送ってくれるところもあります。もちろん、そういった宅配キットがなくても自宅にある物で代用することも可能です。

郵送した刀が刀剣専門店に到着すれば査定が開始されます。査定完了後に査定内容と買取価格の連絡がありますので、納得できれば売買成立。もし、査定結果に納得できなければ買取依頼を取り下げても構いません。後日、日本刀は着払いで自宅まで返送されるのが通例です。

オンライン査定

売却をまだ迷っている場合や、おおまかな金額を把握したい場合などに便利なのがオンライン査定。

オンライン査定に必要な物は、売却予定となる刀の写真のみです。もちろん専用のカメラではなく、スマートフォンやデジタルカメラで撮影した写真で問題ありません。刀身以外にも、鞘・鍔・小柄・笄などの外装が付属していれば細部がよく見えるようにこちらも撮影します。

オンライン査定での結果は、画像を見た上でのおおよその金額です。査定価格に納得できたなら、次の段階である持込買取・出張買取・宅配買取へ進み、直接、刀剣専門店による現物確認等を行いましょう。

模造刀の所持

「模造刀」は、本物の日本刀を模して造られた物のことです。刀身の原料は、玉鋼ではなく、主に亜鉛などのアルミニウム合金や、木、プラスチックなど。刀身も「刃が付いていない=切れない」ことに加え、「研ぐことができない=将来的にも切れない」用具です。

そのため模造刀は刃物でも刀剣類でもありません。本体の刀身は亜鉛合金などのやわらかい素材が用いられており、仮に刀身を研いだとしても、刃が付くことはありません。模造刀は日本刀に該当しないので、日本刀のように、都道府県教育委員会による許可や都道府県公安委員会への届出は不要です。

模造刀の所持に許可や届出がいらないと言っても、自宅等以外の場所で携帯するには注意が必要。気軽に持ち歩くと「軽犯罪法」に触れる可能性があります。

模造刀の特徴

模造刀は、実際の刀にある刃文も存在しています。真剣の刀は「土置き」をして「焼き入れ」を行うことで刃文ができますが、模造刀は刀身表面にクロムメッキ加工を施し刃文を入れます。

模造刀の刀身彫刻

模造刀の刀身彫刻

模造刀の刃文は、職人によりヤスリで研削(けんさく:表面を滑らかにするために、砥石などで削ること)され、模様を付けるのが一般的。このヤスリがけ作業で、直刃や小乱、互の目など、多種多様な刃文を再現するのです。

また、模造刀の刀身自体は鋳造(ちゅうぞう)されていることが多いため、刀身彫刻を入れることも可能。そのため、刀身彫刻が有名な名刀による模造刀も作られています。

模造刀の種類
●プラスチック製の模造刀

模造刀の中で、最も安価なのがプラスチック製の1振。観光地の土産物店などで販売されている物がまさにプラスチック製の模造刀です。

●合金、天然木、本鮫地などを使用した模造刀

合金、天然木、本鮫地を使用した模造刀は、刀身には天然木を使用。表面にメッキ加工を施すことで、外見上は本物の刀と遜色ない仕上がりにしています。ただし、観賞用のため強度は考慮されていません。そのため実際の使用は避けましょう。

●真剣に近い素材・部品を用いた模造刀

最高級の模造刀と言えるのが、本物の日本刀に近い素材や部品を使った1振です。こうした模造刀は、素材や部品の選び方、仕上げ作業まで職人の手によって行われています。特に刀身部分は職人が刀に焼き付けを行い、刃文も職人の手によって描かれるなど、本物志向の1振です。

模造刀「長曽祢虎徹」

模造刀「長曽祢虎徹」

日本刀の鑑賞

姿

日本刀の「姿」とは、「鋒/切先」(きっさき)、「身幅」(みはば)、「反り」、「長さ」など、刀剣全体の形状を総称した言葉のこと。

「体配」とも呼ばれており、刀身のなかでも、「茎」(なかご:柄[つか]に収める部位)以外の、鋒/切先から棟区(むねまち:茎と棟[むね:刃と反対側の、物を切ることができない部位]の間にあるカギ形にくぼんだ箇所)までを指しており、日本刀の印象を決定付ける重要な部分です。それぞれの部位には、様々な形や特徴があります。

刀の姿

刀の姿

鋒/切先

「鋒/切先」とは、日本刀の先端部のこと。一見すると、日本刀の鋒/切先部分はすべて同じ大きさ、形状であるように思われがちですが、大別して①かます鋒/かます切先、②小鋒/小切先(こきっさき)、③中鋒/中切先(ちゅうきっさき)、④猪首鋒/猪首切先(いくびきっさき)、⑤大鋒/大切先(おおきっさき)の5種類が存在します。

①かます鋒/かます切先

「かます鋒/かます切先」とは、5種類のなかで最も古い時代に作られていた、形状が一番小さい鋒/切先のこと。

その長さはおよそ2~3cmで、魚類の「かます」の口を思わせる形状をしていることから「かます鋒/かます切先」と名付けられました。日本刀のなかでも、901~1595年(延喜元年~文禄4年)に作刀されていた古刀期の刀に多く見られます。

②小鋒/小切先
鋒/切先の部位名称

鋒/切先の部位名称

「小鋒/小切先」とは、かます鋒/かます切先が作られていた時代のあとに見られるようになった鋒/切先のこと。

小鋒/小切先とかます鋒/かます切先は、ほとんど同じ大きさであるため、見分けるのが難しいとされています。見分けるときは、「ふくら」(鋒/切先の刃側の曲がり具合)を観ることが重要。小鋒/小切先は、かます鋒/かます切先と異なり、ふくらに丸いカーブがあるのが特徴です。

③中鋒/中切先

「中鋒/中切先」とは、小鋒/小切先よりも大きい鋒/切先のこと。その長さはおよそ3~4cmで、古刀だけではなく、1596~1764年(慶長元年~明和元年)の新刀期に作刀されていた刀剣にも見られる、最も一般的な形状の鋒/切先と言われています。

④猪首鋒/猪首切先

「猪首鋒/猪首切先」とは、「中鋒/中切先」の一種で、猪の首のように少し短く詰まったような姿をしている鋒/切先のこと。

鎌倉時代初期~鎌倉時代中期に作られていた刀に見られる鋒/切先で、相手を突いたときに折れないと言う特徴があるため、「猪首鋒/猪首切先に鈍刀(どんとう:切れ味が悪い刀)はない」と言われています。

⑤大鋒/大切先

「大鋒/大切先」とは、5種類のなかで最も大きい鋒/切先のこと。他の鋒/切先と比較すると明らかに大きいため、見分けるのが非常に簡単です。その長さは5cm以上あり、馬上戦を想定した太刀や大太刀など、大型の刀に採用されました。

鋒/切先の種類

鋒/切先の種類

身幅

「身幅」とは、棟から刃先までの長さのこと。日本刀の見た目の印象を大きく左右するだけではなく、その日本刀がいつの時代に作刀されたのかを推測するための判断材料にもなります。

区(まち:茎に向かってカギ形にくぼんでいる部位)の側面の幅を「元幅」(もとはば)、区の棟の厚みを「元重」(もとがさね)。横手筋(よこてすじ:鋒/切先の下部に入る、刃から棟に引かれた境界線)付近の側面の幅を「先幅」(さきはば)、横手筋付近の棟の厚みを「先重」(さきがさね)と呼ぶのが一般的です。

「身幅」の差「重ね」の厚さ

「身幅」の差「重ね」の厚さ

「刀剣用語」では、「身幅尋常」(みはばじんじょう)と表現されることがあります。身幅尋常とは、刀を鑑賞する際、身幅が特に「広い」とか「狭い」とは感じない様子のこと。なお、身幅が広い、狭いと言う基準は明確に存在するわけではありません。そのため、身幅は日本刀の長さなどを含めた、全体的なバランスの中でその状態を判断します。

反り
反り

反り

「反り」とは、鋒/切先から棟区までを線で結んだ際、棟とその線までの距離が最も離れている部位の寸法のこと。武士から好まれた「優れた切れ味の日本刀」を生み出している最大要因とも呼ぶべき部分です。

反りは、その反り具合によって「腰反り」(こしぞり:反りの中心が、茎に近い位置にある反り)、「中反り」(なかぞり:反りの中心が、刀身の真ん中付近にある反り)、「先反り」(さきぞり:反りの中心が、刀身の中央よりも鋒/切先寄りにある反り)、「内反り」(うちぞり:一般的な刀と異なり、棟側ではなく刃側に付いている反り)、「筍反り」(たけのこぞり:内反りの一種で、反り具合が浅く、刃の方へ傾いている反り)、「無反り」(むぞり:剣術で使用する「竹刀」「しない」に合わせて作られたと言われる、全く反りがない刀)の6種が存在します。

反りの種類

反りの種類

長さ

日本刀の「長さ」とは、鋒/切先から棟区までの距離のこと。日本刀は、作刀された時代によって様々な長さの刀が生み出されました。

大きく分けて「大太刀」(おおたち:日本で作刀された刀剣のなかでも最大級の日本刀)、「太刀」(たち:大太刀よりも小さい日本刀)、「打刀」(うちがたな:太刀よりも小さい日本刀)、「脇差」(わきざし:打刀よりも小さい日本刀)、「短刀」(たんとう:脇差よりも小さい日本刀)の5種類に分類されます。

刀の長さ

刀の長さ

懐剣・懐刀

懐剣・懐刀

5種のなかでも、短刀は子どもや女性でも扱える大きさであったため、古くから護身用の武器として使用されてきました。

現在でも生まれた子への贈り物の他、花嫁道具のひとつとして「懐剣」(かいけん)や「守り刀」などの短刀が用いられることもあります。こうした短刀は「魔除け」などの効果を持つ聖なる刃物として大切にされています。

刃文

「刃文」(はもん)とは、日本刀を作る際、「焼き入れ」(熱した刀を急激に冷やす作業)と言う作業によって刀身に付けられる白っぽい模様のこと。

刀工の個性が最も表れる部分であると同時に、日本刀鑑賞における最大の見所にもなる部分です。刃文は大別して「直刃」(すぐは)と「乱刃(乱れ刃)」(みだれば)の2種類に分けられます。

直刃

直刃とは、直線的な刃文のこと。幅の広さによって「糸直刃」(いとすぐは:幅が非常に細い直刃)、「細直刃」(ほそすぐは:糸直刃より少し広い直刃)、「中直刃」(ちゅうすぐは:細直刃より広い直刃)、「広直刃」(ひろすぐは:最も幅が大きい直刃)の4種が存在します。

直刃の種類

直刃の種類

乱刃(乱れ刃)

「乱刃(乱れ刃)」とは、直刃以外の刃文のこと。各時代、各刀工によって「丁子乱れ」(ちょうじみだれ:植物の「丁子」の実を連ねたような乱刃)や「互の目乱れ」(ぐのめみだれ:丸い文様が連続して凹凸のある形に見える乱刃)、「湾れ刃」(のたれば:大波がゆったりと波打つような乱刃)などをはじめとして、「濤瀾刃(濤瀾乱れ刃)」(とうらんば/とうらんみだれば:うねり具合が湾れ刃よりも様々に付いた乱刃)、「数珠刃」(じゅずば:刃文の模様が、数珠のような均一の大きさの丸みを持って、連続して描かれている乱刃)と言った、一部の刀工や刀工一派に見られるような様々な刃文が考案されました。

なお、刃文は「すぐに目に付く白い波」のような部分を指しているわけではないため、注意が必要です。刃文と誤解されることが多い白い模様は、「研ぎ」の作業によって付けられる部分であり、刃文は刀を作る際に焼き入れによって付けられます。また、日本刀のなかにはいわゆる「付け焼き刃」と呼ばれる、あとから付けられた偽物の刃文も存在。

付け焼き刃の付け方には「紙型法」(焼刃の形状に切り抜いた紙を用いて、刀身を磨く方法)と「塗り薬法」(水で溶いた餅粉や白粉などを使って、直に刀身に焼刃を描く方法)の2通りがあります。

付け焼き刃は、一見すると本物の刃文と錯覚するほど、精巧に付けられていますが、どちらの方法でも刀身を研磨するとその模様は消えてしまうのが特徴です。

地鉄

「地鉄」(じがね)とは、日本刀を作刀するうえで欠かせない鍛錬法「折り返し鍛錬」によって付けられる模様のこと。折り返し鍛錬とは、鉄を熱して打ち延ばし、折り返して2枚に重ね、さらに打ち延ばす作業を何度も繰り返して行われる鍛錬法のことで、これを行うことによって「折れず、曲がらず、よく切れる」非常に強靭な日本刀が生み出されるのです。

地鉄の名称には一般的に「肌」と言う言葉が付きます。代表的な地鉄としては「板目肌」(いためはだ)、「柾目肌」(まさめはだ)、「杢目肌」(もくめはだ)、「綾杉肌」(あやすぎはだ)、「梨子地肌」(なしじはだ)の5種類が挙げられますが、細かく分類すると20種類以上が存在。なお、刀身には1種類の地鉄だけが表れるわけではなく、様々な地鉄が組み合わさって現れるため、どの地鉄がメインとなっているのかを判断することが大切です。

板目肌
板目肌

板目肌

「板目肌」とは、木材の板を思わせる地鉄のこと。模様の大きさによって、「小板目肌」(こいためはだ:板目の大きさが小さい板目肌)、「大板目肌」(おおいためはだ:板目の大きさが大きい板目肌)などの種類があります。

柾目肌
柾目肌

柾目肌

「柾目肌」とは、木を縦に切ったような、真っ直ぐな地鉄のこと。板目肌に混ざって表れることが多い地鉄で、刀剣用語では板目肌のなかに柾目肌が見られる様子を「板目肌に柾が流れる」と言い表します。

杢目肌
杢目肌

杢目肌

「杢目肌」とは、木の株に見られる年輪のような地鉄のこと。柾目肌と同様、板目肌に混ざって表れることが多い地鉄です。

平安時代末期から南北朝時代に備中国(現在の岡山県西部)で活躍した刀工一派「青江派」(あおえは)の杢目肌は、ちりちりと肌立った様子から「縮緬肌」(ちりめんはだ)と呼ばれています。

綾杉肌
綾杉肌

綾杉肌

「綾杉肌」とは、うねった波のような地鉄のこと。名称の由来は、スギ科の植物である「アヤスギ」の木地に似ているため。綾杉肌は、出羽国(現在の山形県秋田県)の刀工一派「月山鍛冶」(がっさんかじ)の日本刀によく見られることから「月山肌」とも呼ばれています。

梨子地肌
梨子地肌

梨子地肌

「梨子地肌」とは、梨の切り口のような、粒々とした地鉄のこと。鎌倉時代後期に相模国(現在の神奈川県)で活躍した刀工「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)の刀に特に見られる地鉄であるため、「新藤五肌」と言う別名も存在。また、梨子地肌は古刀にしか存在しないことから、「日本刀の地鉄の最高峰」とも言われています。

鑑賞時の作法

日本刀は、数百年前に作刀された物であっても、非常に切れ味が鋭い刃物であるため、実際に手に取って鑑賞をする際は怪我をしないように注意することが重要です。

鑑賞をする前に知っておきたい作法やポイントを①準備編、②鑑賞中、③鑑賞後の3項目に分けてご紹介します。

①準備編
●服装(ドレスコード)について
服装(ドレスコード)

服装(ドレスコード)

日本刀を鑑賞する際は、スーツなどの正装をしなければならないと思われがちですが、動きやすい格好であればTシャツとジーンズなどのラフな服装でも問題ありません。

しかし、裾がひらひらしていたり、装飾がたくさん付いていたりすると、鑑賞中に日本刀が引っかかって刀本体を傷付けるだけではなく、鑑賞者や周囲の人が怪我をする恐れもあるため、極力シンプルな服装で参加するのがおすすめです。

また、指輪やブレスレット、腕時計などのアクセサリー類も同様の理由から事前に外しておくことが推奨されています。なお、鑑賞会によっては服装の規定を設けているところもあるため、事前に調べておくことも大事です。

●マスクや眼鏡について
マスク・眼鏡・ゴーグル

マスク・眼鏡・ゴーグル

日本刀の刀身は金属であるため、錆(さび)には何よりも気を付けなければいけません。そのため、鑑賞中は唾が飛ばないようにマスクを着けて、静かに観るのが作法です。

マスクを着けていないときに質問したいことがある場合は、一度日本刀を置いて、席を外してから質問するようにします。

また、「まばたき」をすることで涙が刀身に飛ぶこともあるため、鑑賞する際は眼鏡やゴーグルを着用することもおすすめです。

②鑑賞中
●鑑賞の前後に行うこと
刀枕

刀枕

鑑賞の前後に行う作法として挙げられるのは、日本刀の所有者や作刀者へ対して感謝を表するために、刀へ向かって一礼すること。

昨今は、刀剣ブームによって比較的簡単に鑑賞会へ参加できるようになりましたが、日本刀はもともと、先祖代々受け継がれてきた大切な家宝です。

本来、家宝と言う物は易々と他人が観たり、触れたりすることは許されません。「貴重な家宝を鑑賞させて頂く」と言う感謝の気持ちを忘れずに、鑑賞の前後は必ず一礼します。

●日本刀の扱い方

日本刀鑑賞は、日本刀が刀枕(かたなまくら:日本刀を横向きに寝かせておく際に用いる小型のクッション)に置いてある状態からスタートすることが多いです。その場合、刀身の保護と怪我の防止のために、刃を上向きにして、棟を刀枕に立ててから日本刀を持ち上げるようにします。

また、日本刀をむやみに振り回すのは大変危険です。日本刀の扱い方を誤って、万一事故が起きた場合は鑑賞会が中止になるだけではなく、その後開催される鑑賞会へ参加させてもらえなくなる恐れも。日本刀を鑑賞する際はマナーを守り、静かに、丁寧に日本刀を扱うことを意識することが大事です。

③鑑賞後
●鑑賞のあとに行うこと

日本刀を鑑賞したあとは、鑑賞する前と同様に一礼してから席を離れます。そして、鑑賞した日本刀の特徴や感想を手帳などに書いておくと、自分がどのような日本刀に心惹かれるのかを知ることができるためおすすめです。

メモの取り方は人によって異なるため一概に言えませんが、「作刀者」や「作刀年代」、「所有者」などの基本情報をはじめ、一目見たときの第一印象や、刃文・地鉄の特徴など、鑑賞した際に記憶に残った点・関心を抱いた点を記録するのがポイント。

なお、メモを取るのは、次の鑑賞者へ配慮して席を離れたあとに行うのが作法です。

日本刀を作る

日本刀は、作刀された時代によって「古刀」、「新刀」、「新々刀」、「現代刀」などに分類されます。そして、各時代では日本刀の刀身を作刀する「刀工」の他、様々な職人が各地で活躍していました。ここでは、作刀された時代ごとの日本刀の特徴と、日本刀の作刀工程、拵(こしらえ)の各パーツを制作する職人、各時代で活躍した刀工の流派をご紹介します。

古刀

「古刀」は、作刀された時代によって「古刀」、「中古刀」(ちゅうことう)、「末古刀」(すえことう)の3種に分類するのが一般的です。

古刀とは

古刀とは、平安時代前期から鎌倉時代末期である938~1318年(天慶元年~文保2年)の間に作刀された日本刀のこと。平安時代初期から平安時代中期にかけての刀は、基本的に貴族階級が所有する反りのない日本刀「直刀」でした。

その後、平安時代中期を過ぎると弓なりの反りが付いた日本刀「湾刀」(わんとう)が登場。湾刀は、貴族階級の人が儀式に用いた直刀と異なり、武士階級の者が実戦で使用するための武器として使われました。

湾刀の特徴として挙げられるのが、騎乗で使用する際に鞘(さや)から瞬時に抜ける点。また、刀身に反りが付いたことで、力を入れなくとも物を切ることが可能になりました。

そして、平安時代末期になると「五箇伝」(ごかでん)と呼ばれる伝法が各地で出現したことも忘れてはいけません。

五箇伝には、①大和国(現在の奈良県)を中心に栄えた「大和伝」(やまとでん)、②山城国(現在の京都府中南部)を中心に栄えた「山城伝」(やましろでん)、③備前国(現在の岡山県東部)を中心に栄えた「備前伝」(びぜんでん)、④相州相模国(現在の神奈川県)を中心に栄えた「相州伝」(そうしゅうでん)、⑤美濃国(現在の岐阜県南部)を中心に栄えた「美濃伝」(みのでん)の5つが存在します。

五箇伝の日本地図

五箇伝の日本地図

①大和伝
大和伝

大和伝

五箇伝のなかで最も古い伝法が「大和伝」です。大和伝で活躍した刀工の多くは、寺院お抱えの鍛冶として、僧兵用の武具を制作していました。なお、大和国は日本刀作りに必要な材料が不足していたため、著名な刀工が多いわりに作られた刀の数は少ないと言われています。

②山城伝
山城伝

山城伝

「山城伝」ははじめ、武器としてではなく、朝廷に仕える貴族や天皇の要請に応えて、見た目に美しい刀を多く作刀しました。その後、平安時代末期に「源平合戦」が起きると、実用性重視の刀も作刀するようになります。

③備前伝
備前伝

備前伝

「備前伝」が栄えた備前国は、日本刀作りに欠かせない良質な砂鉄や水、木炭が豊富な地域でした。他の地域から移住して作刀をする刀工も多く、五箇伝のなかで最も多くの刀工が活躍したと言われています。現在、国宝に指定されている日本刀のうち、備前国で作られた刀が全体の47%を占めると言うデータも存在。

④相州伝
相州伝

相州伝

「相州伝」は、日本刀の代名詞として知られる「正宗」が完成した伝法です。相州伝が確立して以降、山城伝や備前伝の刀工も相州伝の影響を受けた刀を作刀するようになりました。

相州伝は、刀の鍛え方に工夫を加えることで軽量化をアップした他、「折れない、曲がらない、甲冑(鎧兜)をも断ち切る」と言う実用的な特徴を有しています。

⑤美濃伝
美濃伝

美濃伝

五箇伝のなかで最も新しい伝法が「美濃伝」です。備前伝に次いで活躍した刀工数が多いですが、その理由は美濃国が良質な原料を多く採取することができたことに加えて、新東海道(現在の東海道線に近い、京都・美濃・尾張・東国ルート)が開発され、美濃国が重要な中継地点となったことが関係していると推測されています。

日本刀を表すときによく言われる「折れず、曲がらず、よく切れる」と言う言葉は、美濃伝のためにあると言われるほど、美濃伝の日本刀は非常に強靭で切れ味に優れていました。

中古刀とは

中古刀とは、鎌倉時代末期から室町時代末期である1319~1460年(元応元年~長禄4年)の間に作刀された日本刀のこと。この時期は、鎌倉時代中期の1274年、及び1281年に起きた2度の「元寇(蒙古襲来)」のあとにあたる時代です。

1)鎌倉時代末期の中古刀

日本刀は、元寇(蒙古襲来)によって大きく発達することになります。元寇(蒙古襲来)が起きる前までの武士の戦い方と言えば「一騎打ち」が主流でした。しかし、日本へ襲来した蒙古軍(もうこぐん)は集団戦が基本。そのため、蒙古軍との戦いで日本側は苦戦を強いられました。

蒙古軍に勝つために、備前国で活躍していた「備前長船派」(びぜんおさふねは)などの刀工達は、鍛錬方法を見直すことになります。硬度を高めるために、直刃で焼幅の狭い作風を考案。この作り方によって、すぐに欠けたり、折れたりしない、弾力性を持った刀が生まれたのです。

2)南北朝時代の中古刀

南北朝時代に突入すると、日本刀需要はますます高まっていきました。通常の日本刀と比較して長大な大太刀や野太刀(のだち/のたち)と呼ばれる刀が多く作られ、武勇に秀でた武者が戦功を挙げたと言われています。

3)室町時代の中古刀

動乱の南北朝時代が終わると、平和な室町時代が到来。室町時代前期に作られた刀は、武器としてではなく華やかな刃文を持っているのが特徴で、この時代に備前国で作られた日本刀は「応永備前」と呼ばれ、様々な刃文が考案されました。

また、騎馬戦による戦いから、徒歩戦へと移行したのもこの時期です。これに伴って刀は短く、なおかつ軽量化し、腰に差して携帯できるように改造されました。江戸時代に一般化する「大小二本差し」(だいしょうにほんざし:長い刀「打刀」と短い刀「脇差」を腰に差すこと)の原型が生まれたのもこの時期であるため、刀身だけではなく、拵の華やかさも追求されたのです。

末古刀とは

末古刀とは、室町時代末期から安土桃山時代である1461~1595年(寛正元年~文禄4年)の間に作刀された日本刀のこと。この時代は、1467~1477年(応仁元年~文明9年)にかけて勃発した「応仁の乱」をきっかけに、戦国時代へと突入した時期です。

そのため、各地の刀工は日本刀需要を受けて、大量の日本刀を作刀。それと同じくして、財力に余裕のある武将達が「注文打ち」と呼ばれる、オーダーメイドの日本刀を特注するようになりました。この注文打ちの多くは、現在でも重要文化財などに指定される名刀が多いです。

新刀

「新刀」とは、古刀のあとに作刀された日本刀のこと。一般に1596~1764年(慶長元年~宝暦14年)の間に作刀された日本刀を指しますが、終わりの時期に関しては、1763年(宝暦13年)とする説、1781年(安永10年)とする説など諸説存在。新刀は、作刀された年代や作刀された地域によって特有の名称が付いているのが特徴です。

1)作刀年代による新刀の分類
●慶長新刀

慶長新刀」とは、慶長年間(1596~1615年)に作刀された日本刀のこと。武士好みの相州伝が大流行した時代で、この時期に「正宗」をはじめとした「正宗十哲」(まさむねじってつ:正宗に師事した弟子のうち、特に優れた腕前を持つ10名の高弟のこと)などの人気が出たと言われています。

刀の姿は、鎌倉時代末期から南北朝時代に作られた刀を思わせる勇壮で堂々とした作が多く、愛刀家の間でも珍重されました。

刀 無銘 伝正宗
刀 無銘 伝正宗
無銘
時代
鎌倉時代末期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
孝明天皇 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
●寛文新刀

寛文新刀」は、一般に1600~1673年(慶長5年~寛文13年)に作刀された日本刀のことを指しますが、いつからいつまでと明示した書物はありません。そのため、書籍などによっては終わりの頃を1687年(貞享4年)とする場合や、1688年(貞享5年)とする場合などがあります。

寛文新刀は、剣術の稽古で使用する竹刀(しない)を思わせる、反りの浅い形状をしているのが特徴です。

なお、寛文新刀は1657年(明暦3年)に江戸で起きた「明暦の大火」と呼ばれる大火災によって隆盛がもたらされたと言われています。明暦の大火は、江戸にあった武家屋敷だけではなく、江戸城に保管されていた多くの日本刀をも焼き尽くしました。そのため、刀工が全国から江戸へ赴き、日本刀を失った武士達の刀を作刀したのです。

刀 銘 (丸に橘紋) 近江守法城寺橘正弘(寛文十一年二月日)
刀 銘 (丸に橘紋) 近江守法城寺橘正弘(寛文十一年二月日)
近江守法城寺橘正弘
(寛文十一年二月日)
時代
江戸時代中期
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
●元禄新刀

「元禄新刀」とは、1681~1735年(天和元年~享保20年)の元禄前後に作刀された日本刀のこと。この時期は、寛文新刀から新々刀への過渡期にあたる時期です。

その姿は、反りが深く、優美な形状で、拵は一般的に派手となり、特に鞘は発色が鮮明な朱蒔絵(しゅまきえ:粉を巻いて絵にする「蒔絵」に朱漆を用いた技法)などが好まれました。

なお、この時代は日本刀の注文が激減した時期であったため、多くの刀工が包丁やはさみなどの刃物職人に転向したと言われています。

2)作刀地域による新刀の分類
●江戸新刀

江戸新刀」とは、新刀の時代に江戸で活躍した刀工のこと。「明暦の大火」ののちに、数多くの日本刀を作刀し、その名声を後世に残しました。江戸新刀の祖と言われる「越前康継」(えちぜんやすつぐ)や「虎徹」(こてつ)の通称で知られる「長曾祢興里」(ながそねおきさと)などが代表工として挙げられます。

刀 銘 於武州江戸越前康継(金象嵌)慶長十九年寅七月十一日二ツ筒落
刀 銘 於武州江戸越前康継(金象嵌)慶長十九年寅七月十一日二ツ筒落
於武州江戸越前康継
(金象嵌)
慶長十九年寅七月十一日
二ツ筒落
時代
江戸時代
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
松平忠昌 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 長曽祢興里入道乕徹
刀 銘 長曽祢興里入道乕徹
長曽祢興里入道乕徹
時代
江戸時代中期
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
●大坂新刀

大坂新刀」とは、新刀の時代に大坂で活躍した刀工のこと。当時の大坂は、商業の中心地として発展していたため、多くの刀工が移住し、全国の大名や武士、帯刀を許された町人などから殺到する注文に対応しました。

大坂新刀の代表工として挙げられるのが、大坂新刀の礎を築いたと言われる「和泉守国貞」(いずみのかみくにさだ)と「河内守国助」(かわちのかみくにすけ)の他、「大坂新刀の三傑」と称される「津田助広」(つだすけひろ)、「井上真改」(いのうえしんかい)、「一竿子忠綱」(いっかんしただつな)などの刀工達。大坂新刀の作は、現代でも愛刀家の間で高い人気を誇ります。

刀 銘 和泉守国貞
刀 銘 和泉守国貞
和泉守国貞
時代
江戸時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
薙刀 銘 河内守国助
薙刀 銘 河内守国助
河内守国助
時代
江戸時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
板倉家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 津田越前守助広 井上真改
刀 銘 津田越前守助広 井上真改
津田越前守助広
井上真改
時代
江戸時代初期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
大坂城代青山家 →
鎌田魚妙 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 一竿子粟田口忠綱 彫同作
刀 銘 一竿子粟田口忠綱 彫同作
一竿子
粟田口忠綱
彫同作
時代
江戸時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

新々刀

「新々刀」とは、新刀ののちに作刀された日本刀のこと。年代については、①「新々刀の祖」と呼ばれる刀工「水心子正秀」(すしんしまさひで)が作刀しはじめた1772年(安永元年)から1926年(大正15年)までを指すと言う説、②1781年(天明元年)から廃刀令が出される1876年(明治9年)までを指すと言う説、③1764年(明和元年)から廃刀令が出される1876年(明治9年)の廃刀令までを指すと言う説など諸説存在します。

江戸時代中期以降、平和な時代の訪れと共に、日本刀の需要は低下。鍛刀の技術も伸び悩み、多くの刀工が苦境に立たされていました。

この状況に立ちあがったのが「水心子正秀」です。水心子正秀は、かつて作られていた実用性重視の「古刀」の鍛錬法を復元する「刀剣復古論」を唱え、見た目に美しく、実戦に耐える日本刀を再び作刀するために、多くの賛同者を集ったのです。

江戸三作

「江戸三作」とは、新々刀の時代に江戸で活躍した3名の刀工①水心子正秀、②大慶直胤(たいけいなおたね)、③源清麿(みなもときよまろ)のこと。

①水心子正秀

「水心子正秀」は、出羽国中山村諏訪原(現在の山形県南陽市)出身の刀工。五箇伝の「山城伝」、及び「備前伝」などの古法の探求から発見した「おろし鍛え」と言う鍛刀手法を確立し、その技法のすべてを数十冊の本にまとめて公開した刀剣学者でもあります。

また、教育者としての手腕も高く、100人を超える門人を輩出。水心子正秀やその門人に師事した刀工達は、全国各地で活躍しました。

刀 銘 水心子正秀 天明五年二月日彫同作
刀 銘 水心子正秀 天明五年二月日彫同作
水心子正秀
天明五年二月日彫同作
時代
江戸時代後期
鑑定区分
特別保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
②大慶直胤

「大慶直胤」は、出羽国山形(現在の山形県)出身の刀工。水心子正秀の「刀剣復古論」に賛同した刀工のひとりで、刀鍛冶をしていた父のもとで作刀を学び、その後、水心子正秀に師事しました。

その技量は、師である水心子正秀を遥かに凌駕したと言われており、独立後は技術伝承に貢献して著名な名工を多く輩出しています。

脇差 銘 直胤(花押)
脇差 銘 直胤(花押)
直胤(花押)
時代
江戸時代後期
鑑定区分
保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
③源清麿

「源清麿」は、「四谷正宗」(よつやまさむね)の異名を持つ刀工です。異名の「四谷正宗」は、四谷北伊賀町(現在の東京都新宿区四谷)に定住し、「正宗」のような優れた切れ味の日本刀を作刀していたことが由来となっています。

幕末時代の江戸で随一の人気を集めましたが、42歳と言う若さで没しているため、作刀数自体は少ないです。

脇差 銘 源清麿 弘化三年八月日
脇差 銘 源清麿 弘化三年八月日
源清麿
弘化三年八月日
時代
江戸時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

現代刀

「現代刀」(げんだいとう)とは、1876年(明治9年)に発布された「廃刀令」以降に作刀された日本刀のこと。廃刀令が発布されて以降、大礼服(明治時代から第2次世界大戦終結までに使用された最上級の正装)着用の場合、及び軍人・警察官などが制服を着用している場合を除き、一般の人びとが日本刀を身に付けることは禁止されました。

一方で、日本刀を作刀すること自体は禁止されていなかったため、愛刀家であった「明治天皇」が日本刀文化の維持に力を注ぎ、技術の消滅を防いだのです。

帝室技芸員

当時、日本の美術・工芸の保護奨励のために任命されたのが「帝室技芸員」(皇室の御用を務める美術・工芸家)でした。鍛刀界からは、刀身彫刻の名人として知られる初代「月山貞一」(がっさんさだかず)と、晩年まで日本刀作刀に心血を注いだ「宮本包則」(みやもとかねのり)の2名が選出。

月山貞一と宮本包則は、明治天皇をはじめとする皇族や、著名人の作刀に数多く携わり、廃刀令以前の新々刀と現代刀との期間をつなぐ名刀工として活躍しました。

刀 銘 帝室技芸員月山貞一謹作之七十五歳(花押)至尊余鉄以 明治四十三年十一月吉日為石原家
刀 銘 帝室技芸員月山貞一謹作之七十五歳(花押)
至尊余鉄以 明治四十三年十一月吉日為石原家
帝室技芸員
月山貞一謹作之
七十五歳(花押)
至尊余鉄以
明治四十三年
十一月吉日
為石原家
時代
明治時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 因州宮本能登守菅原包則 於江州御陣中鍛之
刀 銘 因州宮本能登守菅原包則 於江州御陣中鍛之
因州宮本能登
守菅原包則
於江州
御陣中鍛之
時代
明治時代
鑑定区分
保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
「刀剣界の冬」の到来

廃刀令頒布から昭和時代前期までの約50年間は、あまり日本刀が作刀されない「刀剣界の冬」と呼ばれる時代です。

この背景には、当時の世相が関係しています。当時の人びとの間では「文明開化」や「大正デモクラシー」など、西洋文化がトレンドでした。そのため、日本刀を含む日本で生まれた伝統工芸品の価値は薄れていたのです。

また、当時は廃刀令以前に作刀された日本刀が豊富に存在したため、新しく作っても売れなかったと言います。

軍刀需要による復活

約50年、日本刀の需要が低下した結果、大正時代には日本刀の主原料となる玉鋼(たまはがね)を精製する「たたら製鉄」が廃絶。各地に存在した日本刀作刀の伝統技術も、多く失うことになります。

日本は、「日清・日露戦争」をはじめ、海外諸国との戦争に際しても、明治時代初期までに作られた日本刀の在庫で賄っていました。しかし、戦争が激化していくと、軍と刀剣界、及び民間協力者による日本刀の復活が画策されはじめます。

そして、1933年(昭和8年)、「靖国神社」に「日本刀鍛錬会」が設立。こうして、刀工達は「軍刀」の作刀にあたることになります。

令和時代の現代刀

戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)によって行われた日本の武装解除、通称「昭和の刀狩り」。これによって、日本刀を含むあらゆる武器は接収され、焼却・廃棄されることになります。また、戦後発令された「兵器・航空機等の生産制限に関する件」により、日本刀の作刀も制限されました。

この危機を救ったのが、現代刀保存の立役者として知られる「栗原彦三郎」(くりはらひこさぶろう)や、古刀研究の権威として著名な「本間薫山」(ほんまくんざん)をはじめとした刀剣学者達です。

栗原彦三郎らは要人にかけあい、「日本刀は武器ではなく、美術工芸品である」と主張。先人達の尽力によって、日本刀作刀、及び一般の人でも再び日本刀を所持できるようになったのです。

そして現在、現代刀は平成時代後期に起きた「刀剣ブーム」によって再び注目を集めるようになりました。各地で活動する刀工達が、刀剣関連のイベントに出演して「銘切り」の実演を行うなど、表舞台で活躍するようになると、刀身を作刀する刀工だけではなく、日本刀を構成する拵の各パーツを作る職人達にもスポットライトが当たるようになったのです。

現代刀匠のなかには、「古刀再現」を掲げて日夜研究に励む人も存在。現代刀が今後、どのような発展を遂げていくのか、刀剣ファンや愛刀家から高い関心を寄せられています。

玉鋼

玉鋼

玉鋼

日本刀の話題に登場することが多い鋼と言えば「玉鋼」です。玉鋼とは「たたら製鉄」の「鉧押し法」(けらおしほう)と呼ばれる「直接製鋼法」(直接製鋼法的間接製鉄法)で、ごく僅かにしか作ることのできない貴重な鋼のこと。日本刀作刀に欠かすことのできない重要な原料です。

鉧押し法

鉧押し法

玉鋼の特徴

玉鋼と一般的な鉄鋼製品の違いは、含有する炭素量。精製された鉄は、炭素量が多ければ硬度が増しますが、比例して粘り強さが落ちます。「粘り」とは折れやすさのことで、硬ければその分、折れやすくなり、反対に炭素量を少なくすればするほど、硬度は減りますがやわらかく、伸ばしやすくなるのです。

一般的な鉄は、力を加えると比較的容易に形を変えられますが、鋼は熱を加えないと変形できないほどの硬度を誇ります。一方で、日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と称されるほど強靭な刃物です。

その原料となる玉鋼は、炭素量が1~1.5%程度と、非常に純度が高くなっています。また、ごく僅かに含まれる不純物も、「折り返し鍛錬」を15回ほど繰り返すことで、徐々に分散・細分化されていくのです。

玉鋼のランク

「たたら製鉄」には、島根県奥出雲町で毎年冬になると操業される「日刀保たたら」(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)と、軍刀需要に応えるために1933~1945年(昭和8~20年)に操業した「靖国たたら」の2種類が存在。日刀保たたらでは、1代(ひとよ:たたら製鉄で火入れから終了までの全工程のこと。

鉧押し法の場合、3昼夜かかることから別名[3日押し]とも呼ばれる)でおよそ1tの玉鋼が産出されます。たたら吹き操業は毎年1~2月にかけて、3代行われ、合計約3tの玉鋼が産出。作られた玉鋼は、全国の刀匠へ配分されます。

このとき、精製された玉鋼は状態によってランク(等級)が存在。玉鋼のランクは、日刀保たたら・靖国たたらのそれぞれで、異なる基準のもと分類されているのが特徴です。靖国たたらでは「鶴」、「松」、「竹」、「梅」の4段階で品質を分け、日刀保たたらでは「1級品」、「2級品」、「3級品」の3段階で品質が分けられています。なお、作刀の際に用いられるのは1級品や2級品など、最高品質の玉鋼です。

靖国たたらにおける玉鋼の品質分類基準

靖国たたらでは、炭素の含有量の他に不純物の含有量で玉鋼のランクを決定していました。最高品質の「鶴」は、炭素含有量がおよそ1.5%。

鶴よりひとつ下のランクである「松」は、不純物のケイ素やマンガンなどはほとんど検出されませんが、炭素含有量がおよそ1.2%。

鶴よりも不純物がごく僅かに多く、炭素含有量がごく僅かに低いと言う、非常に厳しい基準のもとで分類されています。

日刀保たたらにおける玉鋼の品質分類基準

日刀保たたらでは、靖国たたらと同様、炭素含有量と不純物含有量の他、玉鋼として精製されたときの「見た目」も評価基準に加えられました。

例えば「炭素含有量1.0~1.5%」、不純物は「ごく微小」、そして「破面」(金属を破砕した際の断面)が「均一」である場合は1級品。

「炭素含有量0.5~1.2%」、不純物は「ごく微小」、破面が「やや均一」であれば2級品と言った具合に分類しています。

作刀工程

日本刀の作刀工程は、時代や流派、個人によって多少異なりますが、一般的な流れは共通しているのが特徴。

①玉鋼の精錬

はじめに行われるのが、原料となる玉鋼の精錬です。たたら製鉄は、砂鉄を原料とした製鉄法です。粘土で作り上げられた炉を、木炭と風を送るための装置である「鞴」(ふいご)によって加熱し、鉄に含まれる炭素の割合を調節することで、玉鋼を精製します。

②水減し・小割り
水減し

水減し

玉鋼を熱して厚さ5mm程度に打ち延ばし、これを2~2.5㎝四方に小割りして、なかから良質な部分を3~4㎏選ぶ作業。玉鋼を叩いて薄く延ばす際、はじめはなるべく玉鋼を「赤める」程度の低温で加熱してから叩きます。

玉鋼は、鋼の粒の集合体であるため、いきなり高温で叩くと、ばらばらに砕けてしまうのです。それを防ぐために、最初は低温でなじませながら叩いていきます。

徐々に玉鋼を延ばし、厚さ5mm前後ほどになったら、熱された状態である鋼を水に入れて急激に冷やす「水減し」(みずへし)を実施。急冷することによって、炭素量が多い部分は自然に砕けるのです。砕けなかった部分は、小槌で叩いて割る「小割り」という作業で、水減しをした鋼を適当な大きさに割ります。

日本刀は、1種類の鋼を刀の形にしているのではなく、刀身の中心に「心鉄」(しんがね)と呼ばれる鋼を芯として入れ、それを「皮鉄」(かわがね)と呼ばれる鋼で包むように構成されています。「皮鉄」には、炭素量が多く硬い鋼を使用し、反対に「心鉄」には、炭素量が少ないやわらかい鋼を用います。

小割りの作業では、日本刀の刃の部分に使用する「皮鉄」に適した炭素量の鋼は割ることができますが、炭素量が少なく、やわらかい部分は割ることができません。割れた鋼は「皮鉄に用いる硬い鋼」、割れなかった鋼は「心鉄に用いるやわらかい鋼」として分類します。

③積沸し

小割りで得られた鋼をテコに積み上げて、ホド(炉)で熱する作業。この過程で原料が充分に沸かされ(熱せられ)ひとつの塊となります。

④鍛錬

「積沸し」が終わったあとに行うのが「鍛錬」です。鍛錬とは、鋼を折り返して鍛えることにより、不純物を取り除き、炭素量を均一化させる作業のこと。これによって日本刀の「皮鉄」が作られます。

鍛錬は、複数人で行う作業であり、最も重要な役割を果たすのは「横座」を担当する刀工です。横座は、テコ棒と小槌を持ち、大槌を振るって鋼を打つ「先手」に、どの場所をどのぐらいの強さで叩いて欲しいか指示を出す役割があります。先手が横座からの指示にしたがって大槌を打つことを「相槌を打つ」と言い、慣用句の「相槌を打つ」はこの作業が語源です。

鍛錬では、鋼を叩いて長方形に薄く延ばしたあと、真ん中に切れ目を入れて、そこから折り返すと言う作業を15回ほど繰り返すのが特徴。折り曲げる方法は、各地の刀工・流派によって様々ありますが、同一方向に折り曲げ続ける「一文字鍛え」と、縦横交互に折り曲げていく「十文字鍛え」の2通りが一般的です。

一文字鍛え・十文字鍛え

一文字鍛え・十文字鍛え

この作業の前半に行われる鍛えを「下鍛え」と言い、後半に行われる鍛えを「上鍛え」(あげぎたえ)と呼びます。下鍛えの際には、炭素量を把握し、必要であれば高炭素を含んだ鋼を入れるなどの対応を採ることも。

また、日本刀の中心部に用いられる「心鉄」も別途鍛錬を行いますが、15回ほど折り返して鍛錬する皮鉄とは異なり、心鉄は5~6回ほど鍛錬するだけで完了するのが特徴。その理由は、心鉄に使われる鋼はやわらかいため、積沸しの際に砕ける心配が少なく、積沸しの温度なども皮鉄ほど厳密ではないためです。

⑤造込み

鍛錬によって作られた「皮鉄」と「心鉄」を「造込み」と言う作業で組み合わせます。造込みにもいくつか種類がありますが、最も一般的なのは心鉄の周囲に皮鉄を包み込んで作り上げる「甲伏せ」(こうぶせ)と呼ばれる手法です。

⑥整形

次に、日本刀の形へ整形します。作業のはじめに行われるのが、鋼を沸した状態で徐々に日本刀の形に打ち延ばしていく「素延べ」(すのべ)と言う、最終的な日本刀の完成形を決める重要な作業です。

鋼を少しずつ延ばしていく理由は、日本刀を打つ際に無駄な負荷がかかり、疵(きず)などの原因となるのを防ぐため。ある程度打ち延ばすと、続いて日本刀の先端を斜めに切り落とし、鋒/切先となる部分を打ち出していきます。

なお、このときにただ切り出しただけでは鋒/切先が脆くなってしまうため、刃は切り出した部分の反対側から打ち出すのがポイント。

⑦火造り
火造り

火造り

素延べのあとは、沸した刀身に「鎬」(しのぎ:刀身の刃と棟の間にある山高くなっている筋)や横手筋などを付ける「火造り」と言う作業に入ります。

火造りは、「平造り」(ひらづくり:刀身の側面「平」に鎬がない造り)や「鎬造り」(しのぎづくり:刀身の表裏に鎬筋と平手筋が付いている造り)、「切刃造り」(きりばづくり:鎬が刃側に寄っている造り)などの「造り」の他、「身幅」や「重ね」の厚さなど、刀の姿を決める工程です。

⑧土置き・焼き入れ

焼き入れの準備として、はじめに「せん」と呼ばれる器具で刀身を整えます。せんで刀身を整えたあとは、「焼刃土」(やきばつち:刀身に粘土や木炭、砥石の粉などを混ぜて作った土)を塗布する作業に入りますが、このとき、棟側には厚く、刃側には薄く塗布するのがポイント。その理由は、刃先と棟側の冷却速度に差を出すため。この一連の作業を「土置き」と呼び、焼刃土の乾燥が済んだら、いよいよ「焼き入れ」の工程に入ります。

沸出来と匂出来

沸出来と匂出来

焼き入れとは、高温に熱した刀身を冷水へ入れて一気に冷却する作業のこと。焼き入れを行うことで刀身に反りが生まれ、また日本刀の最大の見所である「沸出来」(にえでき:刀身に表れる、肉眼で確認できる程度の大きさの粒子)や「匂出来」(においでき:刀身に表れる、肉眼では確認できないほど細かな粒子)などの刃文が生み出されます。

⑨鍛冶押・茎仕立て

焼き入れ後に仕上げとして行われるのは、「鍛治押」(鍛治研ぎ)と「茎仕立て」です。「鍛治押」(鍛治研ぎ)とは、刀身に疵や割れができていないことの確認、及び反り具合を調整する作業のこと。

「茎仕立て」とは、柄と茎を固定する留め具「目釘」(めくぎ)を差すための穴「目釘穴」(めくぎあな)を茎に開けたり、茎に「鑢目」(やすりめ:茎が柄から脱落しないように、茎に付ける滑り止め)を付けたりする作業のこと。

⑩完成

そして、刀工が最後に行うのが「銘切り」です。「銘」とは、日本刀の茎へ入れられる作刀者や作刀年代などの情報のこと。銘を切られた日本刀はその後、刀身を研ぐ職人「研師」(とぎし)へ渡って研磨されます。

そして、出来上がった刀身に合う「鎺」(はばき:鞘を固定するための金具)や鍔(つば)などの金具を「白銀師」(しろがねし)や「金工師」(きんこうし)が、刀身を保護するための鞘を「鞘師」が制作して日本刀は完成するのです。

日本刀職人

日本刀の作刀には、多くの職人が携わっています。刀身そのものを作刀するのは「刀工」ですが、柄や鞘、鍔など「拵」の各パーツは、それぞれ専門の職人が制作するのが一般的です。

①刀工

刀工とは、日本刀の刀身そのものを作刀する職人のこと。その呼び方は「刀鍛冶」、「刀匠」、「鍛人」(かぬち)、「鍛師」(かなち)、「刀師」など様々な呼び方がありますが、一般に使われるのは「刀工」、「刀匠」、「刀鍛冶」の3つです。

②研師
研師

研師

研師とは、日本刀を研磨する職人のこと。日本刀は、出来上がったばかりの状態では刃文や光沢がほとんど見られません。しかし、研師が表面を研磨すると、美しい姿へと変貌します。

また、研師は長年放置された錆の付いた日本刀を蘇らせることができる職人でもあるため、「日本刀の医者」としての側面も持ち合わせているのです。

③彫師
彫師

彫師

彫師とは、日本刀に刀身彫刻を施す職人のこと。日本刀に限らず、鉄製品はひとつ誤れば修復・修正が大変困難です。そういった物に彫刻を施すのは至難の業。しかし、彫師は遥か昔から、巧みな技術で美しい刀身彫刻を施してきました。

刀工のなかには、刀身彫刻を得意とする人もいますが、多くの刀工は彫師と言う専門家に任せることで、見た目に美しい日本刀を作り上げていたのです。

④白銀師
白銀師

白銀師

白銀師とは、「鎺師」(はばきし)とも呼ばれる、刀装具の下地作りを担当する職人のこと。かつては「目貫」(めぬき:柄へ取り付ける装飾)や鍔などの刀装金具のすべてを制作していましたが、分業化が進むと鎺制作専門の職人になりました。

⑤鞘師
鞘師

鞘師

鞘師とは、鞘を制作する職人のこと。日本刀を着飾るための「拵」の鞘だけではなく、日本刀を保管しておくための「白鞘」の制作も行います。

鞘は、日本刀の印象を大きく左右する外装ですが、それだけではなく、刀身の形状とぴったり一致していないと刀身を傷付けたり、持ち運ぶ際に落下して思わぬ怪我に繋がったりする恐れがある重要なパーツです。そのため、鞘師は僅かなズレも生じないように細心の注意を払って鞘を完成させます。

⑥塗師
塗師

塗師

塗師(ぬし)とは、鞘に漆を塗って装飾を付ける職人のこと。よく光沢するような「蝋色仕上げ」(ろいろしあげ)や、金粉を用いた蒔絵等、鞘を美しく仕上げるのが塗師の役割です。

⑦柄巻師
柄巻師

柄巻師

柄巻師(つかまきし)とは、柄に「柄糸」(つかいと:柄へ巻く糸や紐などの総称)を施す職人のこと。柄巻きを行う理由は主に2つあり、ひとつは柄を手で握った際に滑って落とさないようにするため。そしてもうひとつは、見た目を良くするためです。

⑧金工師・鍔工師
金工師・鍔工師

金工師・鍔工師

金工師とは、日本刀に付属する金属製のパーツを制作する職人のこと。また、鍔の制作を行う職人を特に「鍔工師」と呼びます。

日本刀は「目貫」や「笄」(こうがい:拵に付属する、棒状の小道具)、「小柄」(こづか:拵に付属する、小型の刃物)など、刀身や鞘・柄そのもの以外にも、各部位に様々な装飾を施すことで、ひとつの美術品として完成するのです。

刀工の流派

かつて日本各地には、様々な刀工の流派が存在しました。特に「五箇伝」が生まれた鎌倉時代は、作刀された地域によって形状や地鉄、刃文に地域差が生じたため、鎌倉時代の日本刀は愛刀家の間で高い人気を誇ります。

日本刀に地域差が生じて、流派が生まれた理由は、流通や交通が未発達であったためです。交通などが不便と言うことは、原料の調達は現地が基本ということになります。そして、各地の刀工達は独自の鍛刀方法で日本刀を作刀したため、その形状や特徴に違いが表れるのは当然のことでした。

大和伝の流派

五箇伝のなかで最も古い大和伝の代表として挙げられるのが、①千手院派(せんじゅいんは)、②当麻派(たいまは/たえまは)、③尻懸派(しっかけは)、④手搔派(てがいは)、⑤保昌派(ほうしょうは)の「大和五派」(やまとごは)と呼ばれる5つの流派です。

①千手院派

「千手院派」とは、平安時代末期から南北朝時代にかけて大和国で活躍した刀工一派のこと。大和五派のなかでは最古の流派で、東大寺の子院(しいん:本寺に属する寺院)である「千手院」に従属し、日本刀の作刀を行いました。

一般的に、平安時代末期から鎌倉時代初期頃までの千手院派を「古千手院派」(こせんじゅいんは)、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけての千手院派を「中千手院派」(ちゅうせんじゅいんは)と呼びます。

なお、大和伝の作に共通することとして挙げられるのが「無銘」の作が多いことです。無銘とは、茎に銘が入れられていない日本刀のことを言い、千手院派も例にもれず無銘の作が多いと言われています。

特に、最も古い「古千手派」の作で銘が切られている日本刀は皆無で、数多くの日本刀を所蔵していた「徳川家」をはじめとする大名家においても、銘が切られた作は見られませんでした。

太刀 無銘 古千手院
太刀 無銘 古千手院
無銘
時代
平安時代後期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
②当麻派

「当麻派」とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて大和国で活躍した刀工一派のこと。大和国にある「当麻寺」に所属し、僧兵のための日本刀を作刀していました。刀剣書には「当麻派が銘を切ることは稀である」と書かれていますが、現存する当麻派の刀の多くがこれを示すように無銘となっています。

刀 無銘 當麻
刀 無銘 當麻
無銘
時代
鎌倉時代中期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
③尻懸派

「尻懸派」とは、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけて大和国で活躍した刀工一派のこと。名称の「尻懸」は、奈良県奈良市にある「東大寺」の裏側にあたる土地の名称「尻懸」(しりかけ)に起因しており、これが訛って「しっかけ」と呼ばれるようになりました。

なお、地名の「尻懸」の由来は、神輿(みこし)を担ぐ者が休息するために設けられた四角い台石「尻懸石」から来ていると言われています。尻懸派を代表する刀工としては「則長」が挙げられ、在銘(ざいめい:銘が切られている日本刀)の刀も現存。刀剣書等では他に「則弘」や「則成」、「則国」などの名もありますが、いずれの刀工にも在銘の作はほとんど見られません。

脇差 銘 大和尻懸住(則長)
脇差 銘 大和尻懸住(則長)
大和尻懸住
(則長)
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
④手搔派

「手搔派」とは、鎌倉時代末期の正応頃(1288年頃)から室町時代中期末の寛正頃(1460年頃)に大和国で活躍した刀工一派のこと。

東大寺の西方にある「輾磑門」(てんがいもん)と言う門前に居を構え、日本刀を作刀していたことが名称の由来と言われています。手搔派の開祖である「包永」(かねなが)をはじめ、手搔派は大和国で最も名工が多い一派として有名です。

太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
包永(金象嵌)
本多平八郎忠為所持之
時代
鎌倉時代中期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
本多忠刻 →
千姫→徳川家光 →
徳川綱吉 →
松平忠周 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
⑤保昌派

「保昌派」とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて大和国で活躍した刀工一派のこと。保昌派は、在銘作が少ない大和鍛冶のなかでも特に在銘作が少ないことで知られています。

また、一派の刀工は刀工ごとに際立った個性が少ないのも特徴。各刀工の作を見極めるのが非常に難しいことから、無銘の刀を鑑定する際は「保昌派の作」と大きなくくりで鑑定されることが多いです。

山城伝の流派

五箇伝のひとつ「大和伝」は、「平安京」遷都(せんと:都を他の地に移すこと)によって政治の中心地となった山城国で栄えた伝法。天皇や宮中に向けた日本刀の作刀が行われ、多くの刀工一派が輩出されました。ここでは、山城伝の代表として挙げられる①三条派(さんじょうは)、②粟田口派(あわたぐちは)、③来派(らいは)、④長谷部派をご紹介します。

①三条派

「三条派」とは、平安時代に山城国三条で活躍した刀工一派のこと。日本刀の刀工一派としては最古の流派で、流祖は天下に名高い5振の刀剣「天下五剣」(てんがごけん)の1振「三日月宗近」を作刀したことで知られる刀工「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)。

三条派は、藤原時代の公卿達の注文に応えて、宮門を守る衛士が用いるための儀礼的な太刀を作刀していました。

②粟田口派

「粟田口派」とは、鎌倉時代初期から鎌倉時代末期のはじめ頃にかけて山城国粟田口(現在の京都府京都市東山区粟田口、及び左京区粟田口)付近で活躍した刀工一派のこと。この一派の作は、室町時代には「贈物の最上位」として重宝されました。粟田口派を代表する刀工と言えば、鎌倉時代中期に活躍した、短刀の名手として知られる「吉光」が挙げられます。

また、吉光の他にも「粟田口六兄弟」と呼ばれる「国友」(くにとも)、「藤次郎久国」(とうじろうひさくに)、「藤三朗国安」(とうざぶろうくにやす)、「国清」(くにきよ)、「有国」(ありくに)、「左近将監国綱」(さこんのしょうげんくにつな)の6工は有名。

いずれの刀工も「古刀最上作」(古刀の時代に活躍した刀工のなかでも、特に技量が優れた刀工)として選出されており、その作は現在でも「国宝」や「重要文化財」に指定され、大切に保管されています。

短刀 銘 吉光
短刀 銘 吉光
吉光
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
刀 銘 立花家 →
公益財団法人立花財団
立花家史料館
③来派

「来派」とは、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて山城国で活躍した刀工一派のこと。

名称の「来」の由来については、「先祖が高麗から来たため」、「来派の実質的な開祖・国行が高麗から来たため」、「異国から来たため、来の姓を賜った」、「開祖である国吉(国行の父)が唐から来たため」など諸説あります。

来派を代表するのは、銘に「国俊」の2字を用いた「二字国俊」、二字国俊の子(または兄弟)と言われる「来国俊」(らいくにとし)、来派で最も作数が多い「来国光」、来国光の子(従兄弟、弟子)と言われる「来国次」など、愛刀家の間でも人気が高い名工達。

このなかでも、来国光は「来りて国光る」、来国次は「来りて国を次ぐ」などの縁起の良い名から、将軍の世継ぎへの贈り物として重宝されました。

刀 無銘 伝国俊
刀 無銘 伝国俊
無銘
時代
鎌倉時代中期
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
④長谷部派

「長谷部派」とは、南北朝時代から室町時代にかけて山城国で活躍した刀工一派のこと。長谷部派は、「皆焼」(ひたつら)と言われる派手な刃文を焼くことで知られています。

また、一派に共通することとして挙げられるのが、太刀などの大きな刀ではなく、短刀や小脇差と言った小型の刀を多く作刀していた点。開祖である「長谷部国重」は、「織田信長」の愛刀「へし切長谷部」を作刀したことで著名です。へし切長谷部は、粗相をした茶坊主を棚ごと斬り捨てたと言う伝説を残す、恐ろしい切れ味を誇る名刀。現在は国宝に指定され、大切に保管されています。

へし切長谷部
へし切長谷部
長谷部国重本阿(花押)
黒田筑前守
時代
南北朝時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
織田信長 →
黒田官兵衛 →
福岡市博物館
備前伝の流派

備前伝は、日本一の日本刀の産地として栄えた備前国で発展した伝法です。特に、備前国を南北に流れる吉井川の下流あたりが最も栄え、数多くの刀工一派・名工を生み出してきました。ここでは、備前伝を代表する①古備前派(こびぜんは)、②長船派(おさふねは)、③福岡一文字派(ふくおかいちもんじは)をご紹介します。

①古備前派

「古備前派」とは、平安時代中期に興った、「備前伝の祖」となった刀工一派のこと。備前伝の刀工一派のなかでも平安時代に活躍した「友成」、「正恒」、「包平」、「助平」、「高平」などを指して「古備前物」と呼びます。

「友成」は、古備前派の代表工で、三条小鍛冶宗近、「大原安綱」(おおはらやすつな:平安時代初期に伯耆国で活躍した刀工)とともに「日本三名匠」と称えられました。その作は現在でも、「御物」(ぎょぶつ:皇室の私有品)や重要文化財に指定され、大切に保管されています。

太刀 朱銘 友成
太刀 朱銘 友成
友成
時代
平安時代末期
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
鷹司松平家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
②長船派

「長船派」とは、鎌倉時代中期から室町時代末期にかけて備前国長船(現在の岡山県南東部、瀬戸内市の一地区)で活躍した刀工一派のこと。数多くの名匠を生み出したことから、長船派の作は「長船物」と呼ばれ、古くから高く評価されてきました。

代表工としては「長光」(ながみつ)や「景光」(かげみつ)、「兼光」(かねみつ)などが存在。なかでも長光は、国宝に指定された太刀「大般若長光」(だいはんにゃながみつ)をはじめ、多くの刀を作刀しており、古刀期においてはもっとも現存在銘作が多い刀工のひとりとして有名です。

小太刀 銘 長光
小太刀 銘 長光
長光
時代
鎌倉時代後期
鑑定区分
重要美術品
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
③福岡一文字派

「福岡一文字派」とは、鎌倉時代初期から鎌倉時代中期にかけて備前国で活躍した刀工一派のこと。開祖は、古備前派正恒系の刀工「定則」の子である「則宗」。一派の特徴としては、華やかな刃文を焼くことが挙げられます。

銘に「一」と切ったことが一文字派の名称由来となっており、備前国では福岡一文字派以外にも「吉岡一文字派」や「片山一文字派」などが各地で活躍していました。なお、福岡一文字派のなかでも、鎌倉時代初期に活躍した開祖・則宗の他、「助宗」、「宗吉」、「成宗」、「宗忠」などの刀工を別に「古一文字」(こいちもんじ)と呼ぶのが一般的です。

太刀 銘 則宗
太刀 銘 則宗
則宗
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
徳川徳松(綱吉) →
日枝神社
相州伝の流派

「相州伝」とは、鎌倉時代中期に相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)で活躍した刀工一派のこと。鎌倉幕府が開府された当時、鎌倉には著名な刀工がいなかったため、5代執権「北条時頼」が山城国や備前国から著名な刀工を鎌倉へ招いて鍛刀させたのが始まりと言われています。

相州伝を代表する刀工として著名なのは、相州伝の実質的な始祖「新藤五国光」、相州伝の名を最も広めた「正宗」、刀身彫刻の名手「貞宗」(さだむね)。この3名の作は、現在でも国宝や重要文化財に指定され、大切に保管されています。

短刀 銘 国光(新藤五)
短刀 銘 国光(新藤五)
国光(新藤五)
時代
鎌倉時代後期
鑑定区分
特別重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
美濃伝の流派

「美濃伝」とは、南北朝時代に興り、室町時代に最盛期を迎えた美濃国の刀工一派のこと。いわゆる「戦国時代」に入ると、刀剣需要に応えるために多くの日本刀が作刀され、技量に優れた刀工を多数輩出しました。

美濃伝は主に、多芸庄志津村(現在の岐阜県海津市南濃町志津)で活躍した「志津系」(しづけい)の一派と、武儀郡鞍智郷関村(現在の岐阜県関市)で活躍した「関物系」(せきものけい)の一派に2分されます。

どちらの流派も、切れ味に優れた実用性重視の作柄を特徴としていますが、志津系は切れ味だけではなく、相州伝の華やかさが加味された名刀が多いのも特筆すべき点。

志津系で著名な刀工は、大和伝系出身で、大和伝に相州伝を加味したような作風を得意とした志津系の祖「志津三郎兼氏」(しづさぶろうかねうじ)。関物系で著名な刀工は、「之定」(のさだ)の通称で知られる「和泉守兼定(2代兼定)」(いずみのかみかねさだ)、「関の孫六」(せきのまごろく)とも呼ばれる「初代孫六兼元(2代兼元)」(しょだいまごろくかねもと)。なお、岐阜県関市は現在でも刃物の生産地として世界的にも有名です。

刀 無銘 伝志津
刀 無銘 伝志津
無銘
時代
南北朝時代
鑑定区分
重要美術品
所蔵・伝来
土岐頼芸 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

日本刀の雑学

説話(神話・伝説)に登場する日本刀

武器でありながらも美しく、人を魅了する日本刀は、古来より様々な説話(神話・伝説)に登場してきました。その鋭い切れ味で妖怪を退治したと言われる日本刀や、教科書にも登場する著名な人物にまつわる日本刀など様々。ここでは、説話(神話・伝説)のなかでどのような日本刀が登場するのかをご紹介します。

草薙剣

「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)とは、記紀神話(ききしんわ:「古事記」と「日本書紀」の総称)にその名が見られる神剣(しんけん:神の力が宿った聖なる刀剣)のこと。

「須佐之男命」(すさのおのみこと)が8つの首を持つ大蛇「八岐大蛇」(やまたのおろち)を討伐した際に、八岐大蛇の尾から出現しました。

名称の「草薙」は、記紀神話に登場する英雄「日本武尊」(やまとたけるのみこと)にまつわる伝説から来ています。

日本武尊が東国に向かう途中、天照大御神を祭祀とする伊勢神宮に立ち寄った際のこと。日本武尊は、叔母の「倭比売命」(やまとひめのみこと)から秘蔵の神剣の他、「火急の際に開くように」と小さな袋を授けられます。

日本武尊が相模国に到着したとき、日本武尊は相武国造(さがむのくにのみやつこ/さがむこくぞう:相模国を治めた官職)から「荒ぶる神を鎮めて下さい」と懇願されます。それを聞き入れ、野原へ踏み込んだ日本武尊でしたが、突然周囲が燃え盛りました。じつは、相武国造ははじめから日本武尊の命を狙っていたのです。

日本武尊は、叔母から授けられた袋を取り出して、中から「火打ち石」を取り出しました。そして、神剣を抜き、周囲の草を薙ぎ払い、火打ち石で迎え火を起こします。このときに草を薙いだ神剣が草薙剣だったことが「草薙剣」の由来となりました。

ソハヤノツルギ

「ソハヤノツルギ」とは、伝承上の人物「坂上田村麻呂」が所持していた剣のこと。「妖星」(ようせい:彗星や流星など、凶事の前兆とされる星)が大空で砕けて降り注いだ際に生じた剣で、敵と対峙した際に鳥となって飛び掛かったり、火焔となって吹き掛けたりしたと言う説話が有名。

なお、戦国武将「徳川家康」は「妙純傳持ソハヤノツルキ/ウツスナリ」(みょうじゅんでんじそはやのつるぎうつすなり)と呼ばれる、ソハヤノツルギをモデルにしたと推測される日本刀を所有。

そして徳川家康は「自分が没したあとも、西国の大名が謀反することのないように、本刀の鋒/切先を西へ向けて久能山東照宮へ安置するように」と遺言を残しました。その後、江戸時代は265年続き、また徳川家は明治維新後も家系が絶えることなく現代まで続いています。

太刀 銘 妙純傳持 ソハヤノツルキ ウツスナリ
太刀 銘 妙純傳持 ソハヤノツルキ ウツスナリ
妙純伝持 ソハヤノツルキ
/ウツスナリ
時代
平安時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
徳川家康 →
久能山東照宮
鬼丸国綱

「鬼丸国綱」とは、鎌倉時代初期に山城国(現在の京都府南部)で活動した刀工「国綱」が作刀した太刀のこと。鎌倉幕府5代執権「北条時頼」の愛刀で、号の「鬼丸国綱」は北条時頼のある逸話が由来となっています。

毎夜、悪夢のなかで小鬼に苦しめられていた北条時頼は、ある時夢のなかでひとりの老人と会いました。その老人は、自分が粟田口派の刀工・国綱が作刀した刀の化身であることを話し、続いて刀身に付いた錆を落としてくれたら、悪夢に出てくる小鬼を退治しようと言ったのです。

北条時頼は、その言葉を信じて国綱の刀を清め、それを寝床の壁に立て掛けて就寝。すると、刀がひとりでに倒れ、傍にあった火鉢の飾りを切り落としました。切り落とされた飾りには、悪夢で見た小鬼の姿があり、以後、北条時頼が悪夢を見ることはなくなったと言います。

童子切安綱

「童子切安綱」とは、平安時代に伯耆国で活躍した刀工「安綱」が作刀した太刀のこと。「天下五剣」の1振であり、丹波国(現在の京都府中央部と兵庫県東部)の「大江山」(おおえやま)に住み着いていた鬼の頭領「酒呑童子」(しゅてんどうじ)を切った日本刀として有名です。この伝説によって、「源頼光」が酒呑童子を酒で酔わせて切ったことが「童子切」の由来になったと言われています。

なお、童子切安綱が本当に酒呑童子を切ったかどうかは別として、「現存する安綱の在銘作のなかでは、童子切安綱が最も優れている」と評される名刀であることに間違いありません。

童子切安綱
童子切安綱
安綱
時代
平安時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
源頼光 →
足利家 →
豊臣秀吉 →
徳川家康

日本刀と包丁

日本刀と包丁は、刃物であると言う以外に共通点はないように思われがちですが、じつは密接に関係しています。なぜなら、明治時代に行われた「廃刀令」によって多くの刀工が職を失い、その技術を活かして作ったのが「包丁」をはじめとした日用品の刃物だったからです。

刀工達は、包丁の他、農業で使用する鍬(くわ)や鎌(かま)、はさみなどを日本刀と同様の方法で製造することで作刀技術を継承していきました。現在でも、そうした技術を用いて作られた包丁は、シェフや調理師などから愛用され、国内外問わずプロの現場において活躍しています。

日本刀と包丁の違い
①製造方法

日本刀は「鍛錬」をすることによってその形を成形しますが、包丁は鍛錬を行わずに成形されるのが一般的です。例えば、刃物の生産地である新潟県燕市の「燕三条」(つばめさんじょう)製の包丁は、洋食器製造の技術を活用した「抜き刃物」製法によって成形します。

抜き刃物とは、金属板を金型で打ち抜いて成形する製法のこと。安定した品質と効率の良い生産が魅力で、材料の品質向上が著しい昨今、打ち刃物(うちはもの:日本刀と同じように鍛錬を行って成形する製法)と遜色のない切れ味の良い包丁製造を可能にしています。

②材質

日本刀の原材料として欠かせない物と言えば「玉鋼」です。一方で包丁は、現在では錆に強い鋼が使用されていますが、古くは「錬鉄」(れんてつ)と呼ばれる質の良くない金属が使われていました。

その理由は、鋼の産出量が少なく、非常に高価であったため。高品質な鋼は日本刀を製造するために使用され、玉鋼を作る過程で生じた質の低い鉄は、包丁や火縄銃などに使用されたのです。

③手入れ方法

日本刀は錆が大敵であるため、手入れをする際に水を使うことは決してありません。研磨を行う場合を除き、日本刀は専用の粉や油などの道具を用いて丁寧に手入れをします。

一方で包丁は、食材を切ることに使用する刃物です。そのため、手入れをする際は中性洗剤を用いて綺麗にします。なお、包丁も水にぬれたまま放置すれば錆びてしまうため、使用後は水気をしっかり拭き取ってから保管することが肝要です。

刀剣・浮世絵・甲冑・
武将について学ぶ

愛知県の風景が描かれた浮世絵

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甲冑入門

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愛知県ゆかりの武将

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日本美術刀剣保存協会 名古屋支部のご紹介

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コレクションの施設概要

施設概要

愛知県名古屋市中区丸の内にある刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館の外観・内観の施設写真をはじめ、営業時間や休館日などの刀剣コレクション情報をご案内致します。

展示品の紹介

展示品の紹介

刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館では、「日本美術刀剣保存協会」が認める鑑定区分の高い日本刀を展示。

「展示品の紹介」では、刀剣情報から当世具足や槍、拵、火縄銃などのコレクション情報までご覧頂けます。

アクセス

アクセス

愛知県名古屋市中区丸の内の東建コーポレーション本館1Fにある刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館をご案内致します。

所在地
愛知県名古屋市中区丸の内2丁目1番33号 東建本社丸の内ビル1階

刀剣コレクションと
名古屋刀剣博物館のご紹介

「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」を運営する「刀剣ワールド財団」では、①当館及び、②名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド(メーハク)、③三重県の「刀剣コレクション桑名・多度」の3施設で、価値の高い様々な美術品をご覧頂くことができます。

  • 名古屋刀剣ワールド

    国宝・重要文化財や重要美術品といった貴重な刀剣を最大200振展示し、館内には、甲冑50領、浮世絵150点も常設展示しています。

  • 刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館

    刀剣をはじめ、甲冑、槍、薙刀、火縄銃といった美術的価値の高い武具がずらりと並ぶ様子は、圧巻の一言。
    どなたでも無料でご覧頂けます。

  • 刀剣コレクション桑名・多度

    刀剣の他、甲冑や薙刀、拵、陣笠、鐙・鞍など多数の美術品を展示しています。
    どなたでも無料でご覧頂けます。

「刀剣イラスト・塗り絵集」のご紹介

歴史上の人物を描いたイラストや、刀剣・日本刀の専門サイト「刀剣ワールド」の刀剣キャラクターのオリジナルイラストや塗り絵をご紹介します。

名古屋刀剣ワールド 刀剣イラスト・塗り絵集
「刀剣イラスト・塗り絵集」のなかからイラスト「歴史上の人物」と、塗り絵「平装」「現代衣装」をご紹介しています。
刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館 刀剣イラスト・塗り絵集
「刀剣イラスト・塗り絵集」のなかからイラスト「オリジナルキャラクター」と、塗り絵「甲冑」「武士」をご紹介しています。
刀剣コレクション桑名・多度 刀剣イラスト・塗り絵集
「刀剣イラスト・塗り絵集」のなかからイラスト「刀剣ワールドキャラクター」と、塗り絵「公家」「姫様」をご紹介しています。

「刀剣コスプレ写真集」のご紹介

刀剣が登場するアニメ、漫画キャラクターのコスプレや、幕末志士や武将、姫様といった実在した人物のコスプレ写真をご紹介します。

刀剣ワールド 刀剣コスプレ写真集
名古屋刀剣ワールド 刀剣コスプレ写真集
刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館 刀剣コスプレ写真集

名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド
(メーハク)のご紹介

愛知県名古屋市中区栄に2020年6月開館(延期)の名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド(メーハク)。ホテル型高級賃貸マンション栄タワーヒルズに併設される日本最大級の日本刀展示数を誇る大規模な博物館です。
日本刀は最大200振、甲冑は約50領、戦国浮世絵150点を常設展示致します。さらに、最新のデジタル技術を活用した企画展も計画しており、新たな名古屋の観光施設を目指しています。

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」
名古屋刀剣ワールド 建設ブログ~名古屋刀剣ワールドができるまで~
名古屋刀剣ワールドができるまでの建設ブログをご紹介。
名古屋刀剣ワールド 建設工事写真集
名古屋刀剣ワールドの工事進捗状況が分かる写真集です。
名古屋刀剣地図 名古屋刀剣地図
名古屋市の刀剣にまつわる施設や観光スポットをご紹介しています。
刀剣ワールドキャラクターを見る

名古屋市中区丸の内にある「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」は、名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」に先立ち、東建コーポレーション本社1階に開館致しました。
「刀剣コレクション名古屋・丸の内/ミニ博物館」では、刀剣をはじめ、甲冑、槍、薙刀、火縄銃などといった様々な武具が集められており、そのすべてをどなたでも無料でご覧頂くことができます。美術的価値の高い武具がずらりと並ぶ様子は、圧巻と言う他ありません。
「展示品の紹介」のページには、日本刀や甲冑などのコレクション情報を掲載。ご覧になってからの来館をおすすめします。

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