「北條寺」(ほうじょうじ)は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」(ほうじょうよしとき)と縁の深い寺院です。寺領は北条氏発祥の地とされる、北条義時が生まれ育った「江間」(えま)を見渡せる場所に位置。亡くなった嫡男「安千代丸」(やすちよまる)の供養のために建立されたことが起源とされており、「木造阿弥陀如来像」(もくぞうあみだにょらいぞう)と「木造観世音菩薩座像」(もくぞうかんぜおんぼさつざぞう)の2体の仏像を安置しています。「北條寺と北条義時」では概要と見どころの他、関連する逸話なども解説します。
北條寺の本尊は木造阿弥陀如来像で、あわせて木造観世音菩薩座像も安置。阿弥陀如来は、「南無阿弥陀仏」と唱えたすべての人を救済し、極楽へ連れて行ってくれるとされる「阿弥陀信仰」(あみだしんこう:すべての生命の苦しみから救い、悟りの境地へ導くこと)における仏とされています。また、阿弥陀如来の脇侍(きょうじ、わきじ:本尊の両脇に侍する仏像)でもある観世音菩薩は、救う相手によって姿を変えて救済するとされている菩薩。このように、死後の救いや、安寧に関するご利益が得られる寺院とされます。
北條寺がある伊豆の国市は、他にも由緒ある寺社、史跡が多く存在する地域。北条氏にゆかりのある場所として、以下が挙げられます。
北条義時
北條寺の寺宝としては、鎌倉時代末から南北朝時代に造られた木造観世音菩薩座像、同じく鎌倉時代に造られた本尊・木造阿弥陀如来像があります。特に本尊・木造阿弥陀如来像は、仏師「運慶」(うんけい)の作と伝えられる物。
しかし、作風は運慶の物と異なる点が見られ、現在では運慶ではない「慶派」(けいは:平安時代後期に興った仏師の一派)の人物による作と推定。時期からして、北条義時が制作にかかわった可能性があるとされる貴重な仏像です。
また、他にも「牡丹鳥獣文繍帳」(ぼたんちょうじゅうもんしゅうちょう)を所蔵。この繍帳(とばり:室内に垂らして空間を区切る物)は、源頼朝の正室で尼将軍として知られる、北条義時の姉「北条政子」(ほうじょうまさこ)が寄進したと伝えられます。
北條寺と北条義時には、深いかかわりがあります。北条義時は、伊豆国(いずのくに:現在の静岡県伊豆半島)の豪族であり、源頼朝が北条氏の邸宅へ逃れてきたときから仕え、のちに源頼朝から「家臣の最となす」と言われるほどの信を得て近臣として行動。鎌倉幕府が成立したあとは、勢力を強めて幕政内で大きな権力を握ります。1219年(建保7年)に鎌倉幕府3代将軍「源実朝」(みなもとのさねとも)が暗殺されると、鎌倉幕府将軍の後継者を据え、自身は執権として政権を担いました。
北條寺創建のきっかけは、北条義時の嫡男・安千代丸が、大蛇に襲われて亡くなったことでした。安千代丸の死を知った北条義時は供養のために、北条氏と縁深いこの地へ、七堂伽藍(しちどうがらん)を建立。同時に本尊・木造阿弥陀如来像を造らせたと言われています。七堂伽藍は「大寺院において主要な建物が整備されている状態」を指す言葉。北条義時が一から大寺院を建立して、嫡男・安千代丸を手厚く供養したことが分かります。
北條寺には、北条義時とその妻「伊賀の方」(いがのかた)の墓所も現存。境内の「義時山」にあり、参拝が可能です。墓所にある石塔の大半は、室町時代、江戸時代などに造られた物。また墓所は、伊豆の国市指定文化財に指定されています。
北條寺の施設情報 | |
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所在地 | 〒410-2221 静岡県伊豆の国市南江間862-1 |
拝観時間 | 10:00~16:00(最終受け付け15:30) |
電話番号 | 055-948-1399 |
定休日 | 水曜日 |
拝観料 | 大人500円、小・中学生 200円 ※25名以上 450円 |
駐車場 | あり |
交通アクセス |
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公式サイト |
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