静岡にある武将ゆかりの神社仏閣

今宮神社と源頼朝
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「今宮神社」(いまみやじんじゃ)は、鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」とゆかりのある神社です。主祭神として祀っているのは「事代主神」(ことしろぬしのかみ)と「大国主神」(おおくにぬしのかみ)で、心願成就、縁結びをはじめとした様々なご利益を授かれます。また、指定無形民俗文化財の他に市指定の天然記念物もあるなど、由緒ある古社のひとつ。「今宮神社と源頼朝」では、今宮神社の概要、ご利益、見どころの他、源頼朝との関係と逸話などを解説します。源頼朝が源氏再興を果たす際に、今宮神社がどのようにかかわったか、より理解を深められるはずです。

今宮神社とは

今宮神社

今宮神社

静岡県熱海市にある今宮神社は、4世紀に創建されたと伝わる古社。地域の氏神(うじがみ:氏族の守護神)として古来より親しまれています。

また、今宮神社に800年以上にわたり受け継がれてきた「社伝神楽」(しゃでんかぐら)は、熱海市の指定無形民俗文化財に指定されている奉納行事。さらに、今宮神社は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝とも深い関連があり、歴史的に重要な役割も担いました。

今宮神社の主祭神とご利益

今宮神社で祀られているのは、事代主神と大国主神の2柱。事代主神は「恵比須」、大国主神は「大黒天」と同一視され、福の神としての性質も持つ神。その関係で、今宮神社は「今宮えびす」とも呼ばれています。

  • 事代主神(恵比須)/商売繁盛、開運、病気平癒
  • 大国主神(大黒天)/豊穣、招福、縁結び、夫婦和合、商売繁盛

さらに、鎮座している地で源頼朝が再起を果たしたことから、心願成就のご利益も授かれるとも言われています。

今宮神社の立地

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂

今宮神社は静岡県熱海市に鎮座し、近隣には、「来宮神社」(きのみやじんじゃ:静岡県熱海市)、同じく源頼朝にゆかりがある「伊豆山神社」(いずさんじんじゃ:静岡県熱海市)、「頼朝の一杯水」などがあります。

来宮神社は今宮神社から車で7分程度、伊豆山神社は今宮神社から車で13分程度の場所に位置。来宮神社は、平安時代初期の征夷大将軍「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)にかかわりがあり、来福、縁起にご利益があるとして崇敬を集めています。また伊豆山神社は、源頼朝が妻「北条政子」(ほうじょうまさこ)とともに信仰した神社。頼朝の一杯水も、車で10分程度の場所に現存しています。

今宮神社の見どころ

今宮神社の見どころは、境内にある「社叢」(しゃそう:神社の森)と御朱印です。社叢は、樹高33mにもなるクスノキのご神木にくわえ、タブノキ、ラカンマキ、イチョウなど、20m以上の樹高を誇る、合計46本の樹木で形成。大樹の多い社叢は、熱海市により、1977年(昭和52年)に天然記念物として指定されました。なかでもクスノキは、「引き寄せ御守り」として、今宮神社の御守りにもなっています。また今宮神社は、個性的かつ種類豊富な御朱印でも有名。源頼朝が描かれた「源氏再興祈願」の御朱印、主祭神の恵比須様を描いた御朱印などが授かれます。

今宮神社と源頼朝

源頼朝

源頼朝

源頼朝は、1159年(平治元年)に起きた「平治の乱」(へいじのらん)によって、伊豆国(いずのくに:現在の静岡県伊豆半島)へ配流(はいる:島流しの刑)。およそ20年間を伊豆国で過ごしました。そのため、周辺地域には、源頼朝とゆかりのある場所が多く残されており、今宮神社もそのうちのひとつとされます。

源頼朝の一杯水

源頼朝は伊豆国へ配流されると、豪族の「伊東祐親」(いとうすけちか)、「北条時政」(ほうじょうときまさ)の監視下のもとで過ごすことになります。しかし、伊東祐親に命を狙われていることを、息子の「伊東祐清」(いとうすけきよ)から聞いた源頼朝は、山中に入り「伊豆山権現」(いずさんごんげん:現在の伊豆山神社)を目指しました。

しかし、伊豆山権現へ逃れるには「多賀山」(たがさん)を越えなければなりません。山越えで力尽きて諦めかけたときに、源頼朝は、清らかな湧き水を発見します。湧き水によってのどを潤すと、麓(ふもと)に見えた大楠の下の社に、成功開運を祈願して再起。無事に追手から逃れることに成功したと言われています。この「大楠の下の社」が現在の今宮神社です。この逸話により、今宮神社は心願成就のご利益もあるとされています。

今宮神社の社殿神楽

今宮神社が伝える、指定無形民俗文化財の社殿神楽には4種類の舞が存在。

  • さがりは……四方を清める舞
  • しんびょうし……鈴と幣束(へいそく:裂いた麻や畳んで切った紙を細長い木に挟んだ物で、お祓いの際に使用)を持って神を呼ぶ舞
  • 剣の舞……左手に剣を、右手に鈴をもって悪い物を退治する舞
  • くるいまい……神が獅子に乗り移り、厄除けをする舞

このうち「剣の舞」で用いる太刀は、源頼朝が寄進した物と言い伝えられています。源氏再興を果たした源頼朝が今宮神社へ社殿造営とともに太刀を寄進しました。

今宮神社の施設情報
所在地 〒413-0028 静岡県熱海市桜町3-29
拝観時間 自由(御朱印は11:00~16:00)
電話番号 0557-81-4232
定休日 なし
拝観料 なし
駐車場 なし(近隣に有料駐車場あり)
交通アクセス
  • JR伊東線「来宮駅」より徒歩20分
  • JR東海道本線「熱海駅」からバス乗車「小嵐」で下車、徒歩3分
公式サイト なし

今宮神社と源頼朝

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