愛知県岡崎市には、「岡崎城」(おかざきじょう)を中心に城下町が築かれました。岡崎城は「徳川家康」が生まれた城でもあり、現在の岡崎市内にはかつての面影を残す場所と徳川家康ゆかりの史跡が多く残ります。岡崎城の城下町は「田中吉政」(たなかよしまさ)の時代に整備されており、防衛のために屈折して作らせた道路「二十七曲り」が特徴。また、城下町は水運と物資の収集地であり、東海道の宿場町「岡崎宿」としても栄えたのです。岡崎城と城下町の歴史や、現在の姿についてご紹介します。
岡崎城
室町時代前期、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)守護代「西郷稠頼」(さいごうつぎより)によって、龍頭山(りゅうとうざん)に築かれた城が、岡崎城の始まりとされます。その後、1531年(享禄4年)に徳川家康の祖父「松平清康」(まつだいらきよやす)が岡崎城を奪取し、改修拡張を行いました。
1542年(天文11年)には、徳川家康が岡崎城で誕生。その後、徳川家康は6歳のときに遠江国(とおとうみのくに:現在の静岡県西部)の今川氏へ人質に出されています。1549年(天文18年)、岡崎城主であった徳川家康の父「松平広忠」(まつだいらひろただ)が死去すると、岡崎城は今川家の支城となりました。
1560年(永禄3年)に起こった「桶狭間の戦い」で「今川義元」が敗死。当時今川氏の武将を務めていた徳川家康は、これを機に岡崎城を今川氏より奪取して独立します。
徳川家康が「浜松城」(静岡県浜松市)へ居城を移すと、嫡子「徳川信康」(とくがわのぶやす)が岡崎城へ入りましたが、1579年(天正7年)に徳川信康が自害。その後は「石川数正」(いしかわかずまさ)、「本多重次」(ほんだしげつぐ)など、徳川家康の重臣が城主を務めました。
1590年(天正18年)、徳川家康が関東へ移封(いほう:領地替え)になると、「豊臣秀吉」の家臣である田中吉政が入城。田中吉政は、岡崎城の大規模改修、城下町の整備を実施し、岡崎城は近世城郭として完成しました。
江戸時代に入ると、徳川家康生誕の地として岡崎城は重要視され、家格の高い「譜代大名」(ふだいだいみょう:徳川家に近しい大名)が歴代城主に就任。1617年(元和3年)には、本丸に3重3階地下1階の複合天守閣が築かれました。以降は岡崎藩庁として幕末に至り、明治維新を迎えます。しかし、1873年(明治6年)の廃城令により廃城。天守を含めたほとんどの建物が解体され、遺構は石垣、堀などを残すのみとなりました。
1959年(昭和34年)に、鉄筋コンクリートで天守が再建。現在、城跡は「岡崎公園」として整備され、人々で賑わう観光スポットとなっています。
八丁蔵通り
岡崎城の城下町は、1590年(天正18年)に城主となった田中吉政が整備。1601年(慶長6年)からは、岡崎藩主を務めた本多家が引き継いで町づくりを実施しました。
岡崎城下町は、南は菅生川(すごうがわ)を活用して、東西南北に総延長4.7kmにも及ぶ堀を巡らせて守りを強化。また、矢作川(やはぎがわ)に全長374mの矢作橋をかけ、東海道を城下町の中心を通らせるように変更しています。
さらに、城下町の防衛と街道筋を伸長するため、約10年の歳月をかけて東海道を改良し、二十七曲りと呼ばれる屈折した道路を作り上げました。二十七曲りは、岡崎城の東側がスタート地点で、現在は石碑と要所に置かれた木戸を再現した「冠木門」(かぶきもん)が目印になります。欠町(かけまち)、両町(りょうまち)、伝馬通(てんまどおり)を通って籠田町(かごたちょう)を抜けると連尺通(れんじゃくどおり)へ、さらに材木町、田町(たまち)、板屋町(いたやちょう)、八帖町(はっちょうちょう)、矢作橋へと繋がるルートです。
このルートは、岡崎城までの距離を伸ばすことで防衛力を強化するために整備されました。現在も二十七曲りを辿ることができ、ルートの至る所に石碑、常夜灯などが残されています。また、東海道筋の途中には「金のわらじ案内柱」という道標があり、現在は観光ルートとして親しまれています。
なお、戦のなかった江戸時代においては、岡崎城下町は宿場町の岡崎宿として発展。岡崎宿は、江戸から数えて39番目の宿場で、矢作川の水運、奥三河(おくみかわ:現在の愛知県北東部)から物資が集まる地として繁栄。
1843年(天保14年)時点では、東海道に53あった宿場の内、人口第7位、旅籠屋数が第3位と、岡崎宿は東海道でも有数の大きさを誇る宿場町でした。太平洋戦争の際に空襲に遭い、岡崎宿に古くから残る史跡は少ないですが、宿場の形と広さを今も体感できます。
岡崎城下町は、徳川家康生誕の地として、また江戸時代には宿場町としても繁栄。現在は二十七曲、点在する史跡、ノスタルジックな雰囲気などを味わいながら、街歩きが楽しめます。
岡崎市は「八丁味噌」の産地として知られており、八帖町で作られた八丁味噌はお土産にもぴったり。2軒の蔵元では、現在も伝統的手法で味噌づくりが行われています。また、八帖町にある「八丁蔵通り」では蔵の景観も必見。レトロで趣深い雰囲気を楽しめます。市内には八丁味噌を味わえる飲食店が多数あり、定番の他にも新たな八丁味噌グルメも充実。特に「岡崎まぜめん」と「家康らぁめん」はぜひ味わいたい一品です。
徳川家康が生まれた場所でもある岡崎市内には、徳川家康に関連する場所が多数残っているのが特徴。家康公ゆかりのスポット巡りをするのも、観光の楽しみ方のひとつです。
また、岡崎市では季節ごとに様々なイベントも実施しています。徳川家康にちなんだ春の「桜まつり」、夏の「岡崎城下家康公夏まつり」が有名です。桜まつりでは徳川家康はじめ、徳川家臣団、三河武士団らに扮した行列が練り歩く「家康行列」が見られます。夏まつりでは、全国屈指の規模の花火大会を実施。例年多くの人で賑わいます。
その他にも寺社などで行われる伝統的な祭り、神事も多く催されていますので、出かける時期に開催されているイベントをチェックしておくと良いでしょう。
三河武士のやかた 家康館
「三河武士のやかた 家康館」(愛知県岡崎市康生町)は、徳川家康と三河武士の活躍を紹介する施設。岡崎城に関連する歴史はもちろん、岡崎の風土に触れることができる歴史資料館です。館内には5つの常設コーナーがあり、徳川家康の生誕から天下統一までの歴史、徳川家康を支えた三河武士について解説。より深く歴史を知ることができるスポットです。
戦国武士の体験コーナーでは、火縄銃、槍といった武器の模型を手に取り、その重さと大きさを体感することができます。また、甲冑(鎧兜)の試着体験も可能。甲冑(鎧兜)の模型を身に着けて記念撮影ができます。
さらに建物の前に設置されているのは、約6mの高さの大きなからくり時計。定時になると、徳川家康の人形が能を舞い、遺訓を語ります。三河武士のやかた 家康館への来館の際には、からくり時計もチェックしてみてはいかがでしょうか。